感想文としては満点

演劇と言葉あそび

【本日の現場】“テニミュ”の心象風景としての「Dream Live 2018」

 正直、Dream Liveの存在に対して少し懐疑的なスタンスを取っていた。コンサートを観たいならアイドルのコンサートを観ればいいと思っていた。役者が、「テニミュ」が、ライブをする意味とは?幕が上がるまでずっと考えていた。普段舞台を多く観ている人が集まるコンサートは盛り上げるのが難しいことも、私は知っている。

 モニターに映し出される「Dream Live 2018」のメインビジュアル、出演者それぞれの写真。観客は思い思いに愛称で名前を呼ぶ。ここまでは家で観た「Dream Live 2017」のBlu-rayと流れは同じだ。1曲目のイントロが流れ出し、ペンライトを振り始める。皆がキャストの登場を心待ちにしている中、真っ黒のモニターは白い文字でこう告げた。「ようこそ!」そして、「歌って!」。狂ってる!そう思った。客席から崩れ落ちそうになるくらいゲラゲラ笑った。まるでカラオケのように、相変わらず真っ黒のモニターに映し出された「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」の白い文字がリズムよく青に染まってゆき、観客はそれに合わせて歌い始める。演者が登場する前に観客に歌わせるライブは初めて観た。どう考えたっておかしいが、考える間もなく私たちは何度も何度も繰り返し歌った。「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」、「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」、「THIS IS THE PRINCE OF TENNIS」………。何度唱えたかわからなくなってきた頃ようやくテニスボールが無数に跳ぶ演出と共に「ありがとう!」という言葉が表示された。謎の達成感が湧き上がった。そして、再び破顔。今考えると、あれは、「テニスの王子様」の夢を楽しむための魔法の呪文だったのかもしれない。

 ノウハウがないからこそ、演者もスタッフも楽しんでるのがわかった。演者が歌う前に客に歌わせる演出を皮切りに、「負けることの許されない王者」で三強の立つステージだけせり上がってすぐに下がるのも、キャストがキャストに紙吹雪を撒くのも、悪口を大声でコールするのも、今まで見たことなくて可笑しかった。でもそのおかしさが心底楽しい。「アリーナなんて滅多に使えないし、なんでもやっちゃえ!」みたいな勢いが楽しくて、愛おしい。テニミュのドリームライブ、ずっとデビューして1〜2年くらいのジャニーズみたいなライブしてるんじゃないかと思う。あくまでもいい意味で、ずっと狂ってる。

 さて、「テニミュ」がコンサートを、ドリームライブを開催する意味とはなんだったのかという話に戻る。

 目の前に繰り広げられる景色を見て、最高に楽しみながらもどこか、白昼夢を見ているような奇妙な気持ちに陥っている自分もいた。「ドリームライブ」とは、誰が見た夢か?

 加藤将と井澤巧麻が演じたからこそ博士と教授のダブルスは復活を果たしたし、田鶴翔吾演じる真田弦一郎だったからこその「無我の境地」の演出だったし、3rd比嘉中だったからこそのラップだった。制作側からは、本公演時から既にこういう風景が見えていたように思えてきた。「ドリームライブ」とは、『テニスの王子様』の本編とは違った方向へ進む物語であり、しかしそれは無秩序で無関係に存在するわけではなく、観客含めミュージカル『テニスの王子様』に関わる全て、“テニミュ”という集合体が見た心象風景なのではないか。そんな夢想をしてしまうほどの人間の気配を感じた。意味とか意義とかでなく、そこにあった風景は確実にあった“未来”のような気がする。

 

 

 青学9代目、六角3代目のみなさん、卒業おめでとうございました。このカンパニーが大好きで、大切だって気持ちは一生忘れません。最高の“未来”を見せてくれて、ありがとう。