【2024モンテ9公演目】より高く、より速く、より強く

熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』無事に閉幕。4年間待ちに待った瞬間であり、同時に来ないで欲しかった瞬間でもあった。終幕の先にあったのは4年前には考えられない景色だった。

正直なところモンテカルロ・イリュージョンはずっと「ツイてない作品」だったと思う。

2020年は新型コロナウイルスというウイルスが発見され「コロナ禍」という言葉もまだ生まれていない時期に上演された。世の中が未知のウイルスに対して出来得る対策を模索し、モンテを含む『改竄・熱海殺人事件』はその世情に翻弄され続けた。

「不要不急の外出は控えるように」と呼びかけられ、次々と劇場が閉じられていく中で紀伊國屋ホールの扉をなんとかこじ開けていたのが『改竄・熱海殺人事件』だった。しかし週末の外出自粛要請があり、最後の週末は上演も叶わず千穐楽、加えて東京公演後に予定されていた福岡公演での上演も中止された。

翌年に『改竄・熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン〜復讐のアバンチュール〜』として上演を予定していたが、こちらは連続上演していた『新・熱海殺人事件』でキャストのひとりが新型コロナウイルスに感染。出演していた多和田任益が濃厚接触者となったため無症状・陰性にも関わらず中止となった。

今考えると週末の外出自粛も、ウイルスに感染していないのにも関わらず公演を中止せざるを得なかったことも、どこまでの意味があるのか考えてしまうが当時はこれが最良の選択だったのである。当時の選択を全く否定出来ない。

しかしながら諦めきれない理由で中止が続いた公演に「ツイていない、持っていないな」とは漠然と感じていた。ただ、そうは思っていても自分の中ではそれを口にするのが憚れた。次があった時にまた「そう」なってしまうのではないかと恐れていたからだった。言霊というやつだ。

だからネット記事のインタビューで鳥越裕貴がこのように話していて驚いた。

僕・・・サブタイトル変えてほしいなってずっと思ってて。「呪われたモンテカルロ・イリュージョン」もしくは「呪いのアバンチュール」に。

「言っても良かったんだ!」と思ったのと同時に、後から思うとこれを読んだ時からなんとなく「今年は大丈夫かもしれない」と感じていたかもしれない。苦手意識の克服、みたいな感覚。

あとはもう、オリンピック・イヤーの奇跡を信じる他ないと思っていた。

逆に「私が観られないモンテがあってたまるか」と思いながら生きてきたのでむしろ公演より私の体調の方が心配だったくらいで、普段全くといっていいほど感染症由来の体調不良にならないのにも関わらず過度に心配して丹念に自分の体調を確かめながら過ごした。結構気が狂いそうで、もう少し公演期間が長かったら私もウサギを追いかけ夜の新宿通りを駆けていってしまったかもしれない。

そして迎えた千穐楽。大山金太郎が入場し、いつになく力が入った部長の「オレたちがどんな思いで四年間練習してたと思う」という咆哮に近い叫びを聞いた時、あぁ最後なんだ。これでやっと終われるんだと思った。涙が出た。

4年。渦中にある間は瞬きの間に過ぎていくような時間だったけれど、思い返せば長い時間だったと思う。ずっとこの瞬間を待っていた。

そこからは一瞬も逃したくない公演が目まぐるしいスピードで振り落とされないように必死だった。部長が鳥になり、『危険なふたり』のイントロが流れる。泣いて泣いて泣き止まないりっくんに鳥が笑えとジェスチャーして頭をはりとばしてビンタして励まして、その隣でゆりあがかわいく笑っていて、それを多和田さんが部長の机の上から見下ろして微笑ましそうに見守っていて。こんなに幸せな『危険なふたり』があるんだと胸いっぱいになった。

『危険なふたり』はかつて熱狂の後に来る虚脱で、モンテの象徴的なシーンとして愛していたけれども、同じ曲で望外な幸せを感じられることがあるのだなと思った。本当に幸せだった。

「やっと終わった」「終わってしまった」どちらの感情も渦巻く中で、カーテンコールでの挨拶で多和田さんは「次のモンテ」の話をした。

4年、復讐のアバンチュールからも3年かかった実感から再上演は難しいと考えていたから、正直再演は考えてもみなかったことだった。この舞台が終幕することはすなわちモンテを心待ちにする時間を終わらせることでもあったからどこか寂しさや戸惑いを感じていたが、多和田さんは次を期待する道を示してくれた。未だに驚きの方が強いかもしれない。同時に、もし4年前に何事もなく無事に公演を終えていたらこんな話は出ていなかったのではないかと思う。

挨拶が終わると、4人が客席へと降り、練り歩いた。4年前、観劇を諦めた人も、公演中止によって観劇が叶わなかった人もいるだろう。3年前は誰もが観劇することなく公演は中止になった。逆に、コロナ禍にどこも演劇がやっていなかったからこそ劇場に足を運んだ演劇ジャンキーもいた。それから、改竄・熱海殺人事件が上演された当時は感染症予防の観点から当然大山の客席降りもなく舞台上から登場し「熱海といえば」の客席登場が出来ないでいた。このカーテンコールは、これまでのすべての「会いたかった」への大復讐だったように感じた。中屋敷さん、すいーつさんを呼び寄せて、本来舞台上にいないはずの人も一緒に皆んなで舞台上で手繋いで公演を終わらせられたことも。やり残したことはもう何もないってくらいのラストだった。

全てやり残すことなく終えられたからこそ、愛憎渦巻く復讐ではなく、純然たる「より高く、より速く、より強く。」そんな思いで、次のモンテを創り上げてくれるのかもしれない。

4年待ったらあとは何年でも待てるなと思うので。

いつまでも、待っていようと思います。