2024年8月号(仮題)

割と色々細々と書きたいことがあったので、リハビリも兼ねて月次記録を復活。まともに書いたのは2年ぶりくらいか?続くと嬉しい。

8月はVTuberに凝ってて、在宅仕事の間はずっと何かしら流していた。にじさんじばかり観ていて、大抵ルンルンかでびでび・でびる。こう言ってはなんだがライバーというのは社会に適合しづらい特性(簡単に言うと早寝早起きが出来ない)を持っているので、観ていて安心する。いや、安心とはまた違うか?「俺たち…1人じゃないよね……」の感情は、連帯感?まぁ、るんちょまは早起きが得意なようですが。

私は雑談、会話が苦手なので意味のあることもないことも長時間喋り続けられる手腕は素直に尊敬する。

逆にテレビはほとんど観ていない。ドラマは最近はチェックしそびれて気付いたら始まり気付いたら終わっている。『新宿野戦病院』と『シュガードッグライフ』、あとアニメ『デリコズ・ナーサリー』だけは現状真面目に毎週観ている…というような感じでかなりサボりつつコンテンツを貪り生きている。

ページの下の方に『ラストマイル』のネタバレを書くので読みたくない者は読まないこと。

どんぞこ

@シアター711

0801初日

柿喰う客新人公演。

今回は主宰の中屋敷による脚本ではなく、ロシアの作家・マクシム・ゴーリキーによる戯曲『どん底』を小劇場サイズに改変したもの。

兼役もあったが、元々の戯曲ではとても7人で演じ切れない人数の登場人物がいるようなのでその兼ね合いもあり恐らくカットされている部分は多い。

以下、配役を書く。

博徒サチン:蓮井佑麻

泥棒ペペル:山中啓伍

亭主コスチリョフ:沖育美

女将ワシリイサ:中嶋海央

貞女ナタアシヤ:佐々木穂高

無一文の男爵:中嶋海央

吞兵衛の役者:浦谷賢充

饅頭売クワシニヤ:山中啓伍

帽子屋ブフノフ:田中廉

錠前屋クレシチ:佐々木穂高

病妻アンナ:蓮井佑麻

娼婦ナスチヤ:田中廉

巡査メドエデフ:浦谷賢充

巡礼者ルカ:沖育美

(学生の頃は割と読んでた方だとは思うが)私は小説を読むのが割と不得手なほうで、何故かというと登場人物が覚えられないから。読み進めながら「体格がこうでこんな顔で性別は……」とぼんやりとしたイメージを作り上げてみるものの登場人物が増えてくると段々とそれぞれのイメージがダブってきて「はてこれは誰だったかな?」となってしまう。

『どんぞこ』を観ていて、特に冒頭の説明も背景の理解もなしに変わる変わる台詞を羅列された時なんかは、己の読書体験とダブるような観劇体験が出来てなかなか面白かった。かなりシンプルな作劇で、セットはひとつの金属製のベッドのみで、衣装替えなどもなかったので余計にそう感じた。

が、しかし特に沖育美の演じ分けは見事で、若い男性と老いた男性の2役を1人で同時に演じたシーンでは「これはすごいものを見ているぞ」と思わず笑いが込み上げてしまうほどだった。

蓮井佑麻は人睨みで空気を作り上げてしまうところが抜群に良かった。

アフタートークによると、事前に原作になった『どん底』の書籍を皆で読んでから配役を決めたりなどしたようだから、演者も同様に読書体験から湧き上がったイメージを芝居に反映させていたのだなぁと思うと案外と間違っていない観劇体感だったのかもしれない。

恒例のアフタートークの締めに中屋敷から「人権という言葉がない時代にロシアの作家がこのような作品を書いていたというのは感じ入るものがある」というような話があった後、エンディングソングとして舞台上の人間により『にんげんっていいな』が歌われ、終幕した。現代にロシア人作家による戯曲を上演する免罪符のようにも、祈りのようにも思える演出だった。

愉快犯

@シアター711

0810夜

2011年初演作品の再演。

ショックを受けると命を落としてしまう特異体質を持つ血筋である琴吹家。

ショックを受けないよう先祖が築きあげた資産で悠々自適に暮らすニートである父・琴吹慶二郎(牧田哲也)や同じく何不自由なく家で暮らす姉の姿を見て自立することを決意した琴吹亀太郎(北村まりこ)は大学受験することを決意する。受験に失敗したショックから命を落とすることを危惧した家族の反対にあいながらも受験勉強に励む。

受験も間近に迫ったクリスマスイブ、姉が部屋で突然死していた。心の傷を癒すように謎の女・和澤井沙凪(永田紗茅)と姉を殺した犯人探しにのめり込んでいく亀太郎。ショックからボケが進行する祖母・琴吹フク(福井夏)、夜中にほっつき歩きだす母・琴吹千幸(加藤ひろたか)。謎の女の正体は?母は一体何を?亀太郎の進路は?琴吹家は一体どうなってしまうのか!?

あらすじだけではミステリサスペンスの類のように思えるが、どちらかというとコメディタッチというか言葉遊びを中心に進行する。14年前の作品ということで仕込まれたネタ自体は古いのだが、北村まりこのコメディ力の強さたるや。初演では他の劇団メンバーが若い頃に演じた作品ということもあり苦労したようだが、北村はじめ、役者全員が全く戯曲に負けてなかった。

個人的には「柿喰う客はもっと難解であれ!」と考えているのでもっと奇怪であっても良かった、物足りなかったとも思ったが、相変わらず素晴らしい永田紗茅の芝居も堪能出来て楽しかった。

ミュージカル『新テニスの王子様』The Fourth Stage

@日本青年館ホール

0921昼/0922東京千穐楽

ドイツ代表戦との再戦。スペイン代表初登場。

もはやインターネットミームと化している「デカすぎんだろ」を舞台で見られて嬉しかった!テニミュでも「あそび」の部分として扱われていてスタッフまで日替わりネタに参加していたのはホーム感の強い新テニミュならではかと。

全体的にはSecond Stage、 Third Stageと比べて話が混み合ってきて難解に思えた。これに関しては原作を読んでいない私が悪い。

東京公演でのフランス代表出演キャストはイケメンことトリスタン・バルドー(鮎川太陽)だったが、イケメンとスペイン代表のアントニオ・ダ・メダノレが絡み合いながらまるまる1曲デュエットする異常事態が起きており良かった。歌詞もかなり変で良かった。新テニミュ、どこまでも変であれ。

スペイン代表のジャージ(ジャージと呼べるのか怪しいほど装飾が多い)は旧ジャニーズ衣装らしさがあり、それを着てフラメンコ風な振りを井澤勇貴が踊っていたのがグッときた。私の脳内には『アンダルシアに憧れて』が流れていた。

越前リョーガは(Second Stageで)ヒップホップダンスを踊っていた影響に来るもの拒まずな性格の表現も相まってスタンスが後ろ重心の印象だったが、スペイン代表楽曲ではフラメンコ的表現、色気の表現で前重心になっており、その表現手法を選んだことも爪先の捌きも見事で井澤のセンス…!と唸るばかりだった。

朝日のような夕日をつれて2024

紀伊國屋ホール

0831夜

台風にヤキモキさせられながらなんとか無事に観劇。面白かった!心の底からやっぱり演劇が好きだと思えた作品。10年後になっても絶対にもう一度観たい。

玩具屋立花トーイの存続を賭けて社長(小松準弥)、部長(玉置玲央)、マーケッター(稲葉友)、研究員(安西慎太郎)が新たなおもちゃを開発するストーリーをベースに、突然乱入してくる少年(一色洋平)によるシーンの破壊、ゴドーを待つシーンの挿入と場面が細かく区切られる形で脈絡なく今行われていたものとは全く異なる劇空間へ誘われる。

おもちゃの開発に翻弄する4人の男たちがいたかと思えばふと気付くと、しりとりをしたり、様々なおもちゃで遊んでみたり、ゴドーを待ちながら暇つぶしをする。かと思えばゴドーを名乗る2人の男のどちらが本当のゴドーかを主張してみたり。そういうような営みを少年が歌い踊り喚きスベり、暴れながらうやむやにする。

哲学的な実験が目の前で行われているかのような鮮烈な体験。言葉遊びの数々。戯曲を乗りこなす頑強な肉体を持つ5人の俳優。演劇の面白みを余すことなく体感させられた。

物語はやがて立花トーイが開発した、世界の誰もが自分を否定することのないVR世界を楽しめる「META LIFE」の世界から帰ることのなくなったミヨコの話へと進む。閉じた世界で「人生つぶし」を行うミヨコ。舞台上にはいないミヨコのことこそが主題のひとつであるはずだがこの突飛で楽しい戯曲に振り回されるばかりで全然掴むことが出来なかった。一度の観劇では到底辿り着けないところにこの戯曲はいる。

であるならば、だからこそ、「朝日」をまた観たいのである。

ラストマイル

つまらなかった。決定的に何かが悪いわけではないがほんのり全部が物足りない。

伊吹藍にまた会えて良かったけどただそれだけの映画。しかし「『MIU404』のキャラクターをまた見れると思ったのに出番少なかった!」とかそういう話ではない。そう思われるとするならばかなり「ナメてんのか?」と思う。この点に関して言えば刈谷とかいて楽しかった。

舟渡エレナが仕立ての良い真っ赤なコートを身に纏ってバーキンを手に現れ、バスに詰め込まれた派遣社員を横目にタクシーで出社するシーンを見て、それが見た目にはとても好ましく映ろうが彼女にとっての鎧の表現だろうがアメリカ本社から半ば飛ばされてきた人材の描写だろうが、少なくとも自分と同じ「労働者」とは思えなかったことだとか。

これまでの同製作陣による作品でのキャラクターを多面的に描く手腕は見事だったが、話数を重ねることが出来るドラマとは違い約2時間に収めなければならない映画ではこれが物足りない印象だったとか。

イベントに託けセールを行い‘What do you want?’と強く問うていらぬ欲望を喚起させながらその裏では人や物を安く買い叩く大手通販サイトや資本主義は確かに悪と言えるかもしれないが、散々オタクの欲望を喚起させ全国津々浦々メロンパン号で回りながらポリまるグッズを売り捌いていたのに?と疑問に思わざるを得ないこととか。

そもそも事件モノにつきものの犯人探しが容疑者死亡というかなりつまらない展開で終幕し「今までの全部何だったんだよ」と思えることとか。

最初にあった期待値から減点、減点……という気持ちで観た。

良いところが全くないとは言わないが。宇野祥平火野正平も最高だし。伊吹藍ちゃんって超最高だし。

物語の構成もいまひとつであるし、資本主義、通販業界や運送業界の労働問題、労働者のメンタルヘルスのどれも問題提起するだけしておいて、いま一歩踏み込み切れていない、作品としての答えがないと感じたが、私がわかりやすさを求めすぎているのだろうか。個人的にはエンタメ作品としても今ひとつ、社会批判としても今ひとつに思えた。

以下は『MIU404』のファンとしての個人的な思いになってしまうかもしれないが、被害者でありながら容疑者でもあり、かつ事件の最中亡くなってしまった事件の重要人物というと青池透子のことを思い出す。何故われわれ視聴者が青池透子に心寄せられるかというと伊吹藍が彼女を知りたいと願い全力で向き合ったからなのではないかと思う。『アンナチュラル』にしても『MIU404』にしても彼らは事件を知ることがお仕事であった。であるから、単なる通販会社に勤めて倉庫内の業務が円滑に回るよう管理することが職務である舟渡や梨本に対してどこまで事件に心寄せることを求めるべきかわからなかった。「単なる労働者に背負わせすぎじゃないか?」とも思うし、背負ってくれないと物語として楽しめないとも思う。

結局のところ犯人探し・事件の解決は主題ではなく、あらゆる登場人物のひとりひとりに自分もなる得る存在かもしれないという話なんだろうが、だとするならば「彼女になるかもしれない私」があまり顧みられていないような気がしてならない。

伊吹藍が犯人に心寄せる時、私は、あなたは、確かに伊吹藍に心寄せられていたと思ったから。