【2024モンテ3公演目】女木村伝兵衛への道がひらけたモンテカルロ・イリュージョン/私最近「初級」って戯曲研究してま〜す♡

女木村伝兵衛への道がひらけたモンテカルロ・イリュージョン

7月14日は五島が誇る女子砲丸投げ選手山口アイ子の命日。多和田は絶好調だった。

1、2公演目は最前列のサイド側を右往左往していたが3公演目はE〜G列のど真ん中に座った。足元なんかは見切れたりもするけれど照明も含めて木村伝兵衛が最も美しく、神々しく見える座席はこの辺りの座席だと個人的には思う。

私の思想としてはつか作品というのは基本的にはブロマンス作品に近似の男の物語だと認識しているのだが、モンテは女の物語だ。特に今年はそう感じる。コロナ禍の特殊な熱狂がなく、かつ繊細な芝居をする木﨑ゆりあが座組に加わったことで「モンテの水野ってこんなにも捜査していたのか」と発見があったからだ。

無印の熱海では木村伝兵衛に向けられる「変わった方ですね」も、木村伝兵衛が発する「その言葉褒め言葉として受け取っておきます」も、水野に向けられ、水野が発する台詞だ。

「熱海の照明」を浴びながら、紀伊國屋の真ん中で、全知全能の瞳で世の中を射抜き「私ね、女の夢を断つ男の人を絶対許すことができないんです。そうそう、女が死ぬことを怖がりますか。」と弁ずる彼女を見て、「ああこの人は木村伝兵衛だ」と悟った。世界でいちばん好きな人の顔をしていた。ほとんど化粧もしていないくらいに見える薄化粧のその顔がとんでもなく神々しく、美しかった。

私は木村伝兵衛を信仰しているので総ての木村伝兵衛を愛したいと思っているのだが、実は「売春捜査官」の女木村伝兵衛はあまりピンとこない存在だった。けれども、今回木崎の伝兵衛を見て(いや、水野なのだが)この美しいひとをもっと見てみたいと思った。中屋敷演出のつか作品、次回は『熱海殺人事件 売春捜査官』でいかがでしょうか。

逆にモンテの伝兵衛は性愛が多くのウェイトを占めている愛情を一心に速水(兄)に向けているためキャラクターとしては人間くさい部分が多いが、無印熱海の伝兵衛による菊の花束で大山を殴る断罪よりもモンテの歌唱による断罪の方が超然としており生命として上位のものといった印象を受けるため、水野に捜査を肩代わりさせている分の「木村伝兵衛部長刑事」としての存在感を一曲で取り戻してくる。戯曲の構成もこれを実現させる多和田伝兵衛のパフォーマンスもどうかしていると思うほど良い。

私最近「初級」って戯曲研究してま〜す♡

なかなか書き方が難しいのだが、『モンテカルロで乾杯』の鳥越裕貴はおもしろい。ダンスが上手ければ上手いほど、ターンで散る汗が美しいほど、真剣な顔で踊れば踊るほど、「おもしろい」「滑稽」と紙一重の表現に近づく。

確かにこの時伝兵衛はドレス姿であるから数センチほどのヒールのあるシューズを履いているので身長差は変わってくるはずだが、大山は大山でこの時だけふだんより5センチくらい脚が縮んでるんではないかと勘違いしてしまうくらい、何かおかしい。

隣で踊る多和田任益の妖艶で美しい木村伝兵衛との対比が凄まじいせいだろうか。それだけなのだろうか。

他のシーン、大山が大真面目に話すシーンで(迷惑じゃない程度に)ケラケラと笑っている観客がいて、観客に「聞かせる」ことの出来る技術を持つ俳優でもあるから大まじめに観るのも間違いではないはずなのだが、「ああこれは本来おもしろいところなのか」と妙に納得し、くわえてこの感覚は実は重要なのではないだろうかと感じた。

大山のおかしみは人類の夢を背負うアスリートと補欠選手の対比でもあるし、人間を殺さない者と殺してしまった者の対比であるのかもしれないし……といった風に大まじめにも解釈出来うるのだが、これらのことから、私の中では根本的に「熱海」って大まじめに観るものではないのではないかという疑念のようなものが生まれつつある。

私は無印の熱海にある熊田の「夜汽車の窓に顔を写し…」という台詞が泣けて泣けて好きなのだが、「そもそもあそこは泣きのシーンではないのだ。後ろで戯けた顔をしている伝兵衛に笑っていていいのだ」というのがあまり感覚的にわからずにいた(もちろん好きに観て良いのだが)。

別の例を出すと『初級革命講座飛龍伝』の学生運動が下火になった時代にあえてこの作品を書いたことでかつての学生たちを揶揄う作品だったという知識はあるものの、当時の時代の感覚をわからない私は至極大真面目に言葉のひとつひとつを感傷的に受け止めながら紀伊國屋ホールで「初級」を観ていた。

しかし今年、北区つかこうへい劇団員だけで演じ、当時の演出に近いであろうマキノノゾミ演出の「初級」を、当時を知っているであろう観客と共に観劇したことで、「初級」の笑いどころを感覚的に掴めた気がした。

今回の大山のおかしみとは、まさにこれらに通じるものであった気がする。鳥越裕貴が演じる大山金太郎のおかしみにつか作品の本来的な楽しみ方に迫る気付きがあった気がした。

どういう意図があるにせよ、このホンモノぽさは同世代の俳優では鳥越裕貴しか出さないものなんじゃないかと思った。