感想文としては満点

演劇と言葉あそび

【本日の現場】GEM CLUB II

2018年4月15日 @サンケイホールブリーゼ

 観ていて考えたことは、(任意ではない)推しが出演していると楽しい舞台なんだろうなということだった。(何度も言うが任意ではない)推しがいないことが悔しかったくらい。推しが出てないとつまらないクオリティというわけではなく、好きな俳優が一度に色々やらせてもらえる興行っていうのはなかなか無いからすごく楽しいだろうと思う。

 大阪千秋楽挨拶にもあったように、ダンスや歌がそこそこ出来る若手を集めて満足のいくクオリティとクリエやブリーゼくらいのキャパ感でショーを催すことは現状では結構難しいことなのかもしれない。それこそ、それを多少無理矢理にでも出来る主催って今の日本ではジャニーズ事務所くらいなもんで。いわゆる若手俳優を集めてこれをやろうっていうのはなかなか大変だったろうと思う。若手俳優が出演するだけの舞台なら2.5次元界隈に沢山ある時代だけれども、そこから一歩先のクオリティを求めて、かつ具体的なスキルを積める現場ってありそうでないので日本エンタメ界の光だなと思うし、是非続けていって欲しい興行。

 残念なところがあるとすれば、演出との兼ね合いもあるので難しいところではあるのかもしれないが、若手を育てる/ファンをつける事がGEM CLUBの趣旨であるならば、二部のショータイムで顔や髪型が隠れるような衣装はなるべく控えた方がいいだろうなーという点かな。

 

 多和田さんは天性の人たらしという印象を持つ。何故だかいつもニコニコと楽しそうで、踊りもなんだか「人がいい」んだろうなと感じてしまう。関西弁でベラベラ喋っているのがまた憎い。彼は手も足もすごく長いのにきちんと捌けていて上手いので、すごい。首も長いので表現に幅が出来るのが良いなぁと感じた。

 古田さんのリョーマを見たことがあるはずなのだけれど、その時は個人的にそこまで注目していなかった存在だった。けれども、この公演を観て、彼はなるべくしてリョーマ役を掴み取っていたのだろうなと感じた。何故かというと、彼は(特に舞台の端にいる時の)求心力が凄まじい。小柄な男性だけれども、むしろあのサイズ感で生まれて正解だなと思った。スタイルがよいからという理由で彼の求心力の強さを片されることがないから。ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんがラジオ出演した事があって、その番組での彼の「昔は、アイドルは小さければ小さいほどかっこよかったんだよ」という言葉が印象に残っている。全く根拠がない話だったから彼の好みの問題ではないかとも思っていたのだが、身体的な魅力を、内面的な魅力が凌駕しやすい状態にあるからではないかと考えると合点がいった。ここでいう内面的な魅力というのはパーソナリティの話ではなく、ステージでの在り方についての話だ。媚びが無く、自信があり、俺はここだと言わんばかりのパフォーマンスに何度も目を奪われた。まさしく、あの求心力こそが“スター性”というものだと思う。ショーマンとして素晴らしい才能を持っていると思った。この公演をもって俳優活動に区切りをつけるとのことだが、正直残念に思う。

【本日の現場】Take Me Out 2018

2018年4月12日夜公演 @DDD AOYAMA CROSS THEATER

 目の前で10人程度の男がズボンや靴下やシャツを脱いだり、着たりを繰り返す。その合間に織り込まれる個々の信心、それに伴って思い描かれた偶像、あるいは差別(差別というものはつまりは人としてこうあるべきとする信心の規範から外れた人間を受け入れられない懐の狭さから起こるものだ)。ある瞬間に2つの気付きがあるまでは、ひたすらに地道で濃密な哲学の時間だった。シーズン中の試合進行の合間に様々な種類の傲慢さが交錯する。その進行の単調さが、この作品を濃密な時間であるように感じさせた。

 人とはかくあるべきであると理想を掲げる人間の信心は傲慢であるが、同時に他人のそれは当人以外の総てを侵食しながら傲慢ではない人間など存在しないと教えてくれる。人は誰しもが無自覚に傲慢であり、それを定期的に思い出しては自らを律することでのみ美しく生きられると私は考えている。哲学とは、己が美しく生きる為にいかに生きるべきかを見直すことだ。

 私は味方良介という役者から発せられる言葉の説得力を愛している。彼から発せられた言葉――彼が持つ声で、存在で発せられるもの――はまるで何もかもが正しいと思い込んでしまうほどの説得力を持つ。暴力的なほどの彼の正しさは、しかし彼の技術の裏付けでもある。彼の芝居をみる度に、板の上に立ち、戯曲を口にするために、演劇をやるために生まれてきたような人間だとつくづく感じる。キッピー・サンダーストームに彼を据えた事は、そんな彼の役者としての性質を逆手に取った効果的な手法だと感じた。彼の発する言葉の総てに信用性がなくなった瞬間――彼の持つ正しさの中に潜む傲慢さを暴かれたとき――まるで神様みたいな顔をしたキッピーが、人間に退化した。そのことに気付いた時、この演劇の、展開の調和が乱れたように思う。

 反対に、神様から人間へと“進化”したのがダレンだろう。序盤の、周囲の期待を一身に背負っても歯牙にも掛けないでいられるダレンの態度はまさに神様のようだった。あの堂々たる体躯であのような態度を取られたらどんな人間だって彼を神格化せざるを得ないはずだ。メイソンは私みたいな人間で、どのような点でそのように感じるかというとつまりはこういうところだ。あらゆるものに意味を持たせて期待したり、「君は私のようだ」と言って自分から切り離された物質について解った気になる点だ。傲慢で愛らしい。しかし、その傲慢さをダレンは許した。メイソン(とキッピー)が持つ傲慢さを。ダレンが神のような大らかさではなく、愛をもってして許したと知った瞬間、ダレンは私にとって、あの舞台上で誰よりも人間らしく愛おしい存在に変わった。あのいけすかない革のジャンパーを羽織った男をこんなに愛おしく感じた瞬間がこれまでにあっただろうか。

 結局、ダレンはデイビーの言う通り自分を曝け出し魅力的な人間として愛する人に愛されたのだ。最後に勝ったのは、やっぱりダレンだった!

 きっと観るたびに発見がある演劇なんだろうし、それをしてみたいとも思うのだけれど、なんとなく自分というものを崩されてしまいそうでこわい。そんな演劇でした。

 

“みんなダレンの事が好きだった。まるで、自分がダレンを作ったかのように。”

【本日の現場】Hello! Project 20th Anniversary!! Hello! Project 2018 WINTER ~FULL SCORE~/〜PERFECT SCORE〜

2018年1月20日〜1月21日 計3公演 @オリックス劇場

 ハロー!プロジェクトのメンバーが一堂に会するハロコン、特に好きなグループが少ないとどうしてもセットリストによっては全然楽しめなかったりするわけだが今回は残念ながらどちらかといえば楽しめなかった方だと思う。残念。ただ、自分の精神状態によっては可愛い女の子がズラッと並んでいるだけで嬉しくて泣いたりもするのでもはやセットリストは関係ないのかもしれない。定期的に自分を写す鏡みたいなもの。それを差し置いても20周年ということで黄金期にファンをしていなかったわたしとしては構成がつらかったが、20周年記念と銘打っているわけだし今回つまらなく感じたことはある程度は仕方のないことなんだろうな。

 「ミニモニ。じゃんけんぴょん!」なんかはこれから生きていく先でもコールしないだろうし、するとは思ってなかったので素直に楽しんだ。「昔、ミニハムずのアルバムが家の車に乗せられてたな」とか思い出したり。トップアイドルって世の中すべての人間の生活に寄り添っていたりするんだよね。素直にすごいと思う。

 ガタメキラが楽しくて、るるちゃんが好きな自分を嬉しいと思った。「VIVA!薔薇色の人生」は最高。朋子のことはずっと好き。

 最終的にベリキューつんくちゃんはすごいという結論に落ち着いた。

 

 

2018年3月2日 IVVYのインストアライブを観に行ったのですが、1つ記事を上げるほどではないかなと思ったのでここに書いておきます。

 楽しかったー!千里セルシーくらいしかインストアライブに行った記憶がないので、普通にスタスタ通路歩いてステージまで来るのが面白かった!

 すこぶる顔が綺麗な人間とCD2枚で10秒握手出来ます。2〜3往復くらいは会話のラリーが出来る。

【本日の現場】熱海殺人事件 CROSS OVER45

2018年3月3日昼公演 @紀伊国屋ホール

 春だー!熱海だー!味方だーーー!!!!

 というわけで観てきました、「熱海殺人事件 CROSS OVER45」。すっごく楽しみにしてた。戸塚祥太が大山金太郎、主演・演出は少年隊の錦織一清というイレギュラーなタイプの「熱海殺人事件」で熱海デビューを果たした私だが、熱海は今の私を形作るひとつのパーツであるし演劇ファンとしての自分の原点だと感じている。内容に全部共感するわけではないし、観ていてもっと楽しいと感じる作品は他にこの世に沢山あるとも思うけれども、それでも何故か好きだし自分自身の何かをリセットする為に出来れば春に一度は観たい作品。あの長台詞を上手い具合に吐いてる役者を観ているだけでスカッとするし。

 とはいえまだまだ熱海初心者なので、どこが“CROSS OVER45”かと言われると…中盤の滅茶苦茶なところか!?今日は特にスベっていたようで「この空気は…やばい!!!」と演者全員でワタワタしている姿は個人的には見ていて楽しかった。いわゆるアイドル上がりや芸人を起用していたのはこのサブタイトルがないと実現し得なかったことなのかもしれない。私がこの作品を演劇ファンとしての原点的立ち位置に据えているように、この作品を通してそういう演劇ファンが増えればいいなとぼんやり思う。演劇って面白いから。

 ブチギレてからの熊田さんはかなり木村伝兵衛と同じ熱量でいられていた気がするけれども、メインキャストはもっと木村伝兵衛に熱くぶつかればいいのにと感じた。無闇矢鱈と味方伝兵衛上げをしたいわけではないのだけれど、味方くんには既に全力でぶつかってもびくともしないくらいの役者としての度量があると感じたのでそこは残念。バチバチにやり合ってこその熱海だと思うし。しかし人の心のすれ違いの物語であるので、どこかその舞台上の実力差とリンクしているようにも見え…演劇って面白い!石田さんの関西弁に吹っ切れてからの勢いは流石に演劇に限らず漫才も含めて舞台に立ち慣れているだけある。序盤はもう圧倒的に味方!!!味方しか上手くないと言っても過言では無い!!!!!くらいの印象で、正直東京まで出てくるほどではなかったかなと思いながら観てたのだけれどみんなグングン盛り返してきて嬉しかった。

 「犯人たる犯人であれ」という大山の仕立て上げ、「役者たる役者であれ」という先輩役者味方伝兵衛(と石田留吉)からの扱きにも思えてくる。実際終わりに向かうにつれて匠海くんの大山金太郎としての精度が高まっていて、そこに役として存在することが自然過ぎるほどに自然に、金ちゃんとアイちゃんとして熱海で海を眺める2人が見えた瞬間があった。そこだけものすごく稽古を積んだのか、それぞれの中で演技がノッてくる瞬間があったのか気になるところ。匠海くん演じる金ちゃんの裁判所での「海が見たい」を本人の最高潮に持ってきた時、かなり興奮した。匠海くんの演じる金ちゃん、正直あんな田舎者いないとしか思えなくて。正確に言えばいるかもしれないけども、少なくとも離島生まれの、原宿に水筒下げて弁当持って行くほどの卑しさが滲み出るほどの貧しさは感じ取れない。気軽に車で行ける範囲にイオンがある、それこそ“三流の”最近の若者めいた田舎者にしか見えなかった。スマホでそこそこのエンターテイメントは享受出来ていそうな、所謂“ネオヤンキー”みたいな風情。アドリブだろう共演者からの「お前は聞いてるふりしてるけど聞いてない!」という叱責からもわかるように金ちゃんにはもっと泥臭くいて欲しいのに、どこか食らいつこうという姿勢は見えるものの目の前の芝居に真剣に向き合えていないような、本人が己の格好良さを持て余しているように見えたけれども「海が見たい」はすごく真に迫った台詞に感じ、とても良かった。

 今回の公演を観て改めて板の上に立っている味方くんが好きだと思った。公演終盤に差し掛かってもこの熱海で初日といくらも変わらないであろう張りのある声を出せる喉にも惚れ直すけれども、それ以上に燻る紫煙の先に見る味方良介の冷たく人を射るような目線を放つ彼が好きだ。板の上でりんと立つ、目線を配らせ、言葉を発する。それだけであのホールの静寂を支配出来る役者である彼が好き。板の上で燃えるような、そんな彼の熱い魂が好き。板に立っていると特別格好良い人だ。前述の通り私が初めて観た木村伝兵衛は錦織一清なので、彼が年を取ってもシンとした紀伊国屋ホールを板の上から掌握する彼の木村伝兵衛が観たいものだなと思う。