感想文としては満点

演劇と言葉あそび

若者よ、何も憂うことはない。僕達には「シャカリキ・ファイト・ブンブン」がある

2016年1月8日 ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学vs山吹@メルパルク大阪
 人生初めての「テニミュ」。何故このタイミングでテニミュだったのかというと、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」のライブビューイングを観て、2.5次元舞台の未来を見た気がしたからである。というわけで、現在あるいは祖を知らずに未来のことを語るのはナンセンスだろうと思い、チケットを取った次第である。
 幕が上がり、ボールが弾いた音がして、1曲目のイントロが流れ出し、照明で舞台がきらめき出すのを見て、「テニミュ」と自分の中の何かがカチッと嵌った感覚があった。心の中で、このコンテンツをナメていたなと猛省した。
 荒削りであるからこそ感じられる魅力があるコンテンツがある。それは例えばジャニーズJr.をはじめとするアイドルであったり、青春スポーツ漫画(この場合荒削りであるのは漫画そのものではなくキャラクターである)であったりするのだが、そのいずれのコンテンツも、突き詰めていけば「青春の追体験」が出来ることが魅力であるといえるだろう。「テニミュ」の魅力も、その類いのものなのだろうと思っていた。実際、そういう魅力があったのは確かだったが、ジャニーズJr.からも、また漫画の紙面からも感じられない、えも言われぬ「テニミュ」独特の熱さと輝きを感じ取ることが出来た。他では得ることの出来ない快感やその魅力があるからこそ、そのコンテンツは意味を持つわけで、そして「テニミュ」はそれを持っていると感じた。それを持つからこそ「テニミュ」は「テニミュ」というジャンルを確立することに成功しているのだろうと推察することが出来る。
 越前リョーマ役の古田くんがとても小さく、そして棒のように細いのが印象的だった。特に試合中に(コートが状況に合わせてぐるぐるまわるのが面白い)亜久津が舞台の手前に、リョーマが舞台の奥に位置する構図になった時、亜久津の大きさや圧倒的なパワーを感じると共にその亜久津に対峙するリョーマの小ささが印象づくシーンなっており、“勇気バーサス意地”の内の、リョーマの持つ大きな勇気、テニスに賭ける思いを視覚的に感じることが出来るシーンにもなっていた。
 エンタテインメントコンテンツが「シャカリキ・ファイト・ブンブン」のような大きなパワーを持つ楽曲を有することがどれだけ強みになるか、知っている。「キャッチー」のひと言では済ませられないくらいのパワーがこの楽曲にはあった。そしてその、観客を巻き込み、楽しませる「シャカリキ・ファイト・ブンブン」の大きなパワーは、テニスを愛する者たちがテニスに取り憑かれる理由、つまりテニスそのもののの魅力に通じるのではないか。荒削りであれど、何はともあれテニミュ。何はともあれテニス、練習、そして試合!このスピリットこそが「テニミュ」なのである。