感想文としては満点

演劇と言葉あそび

記録:2021年12月

SK∞ The Stage 第一部

天王洲銀河劇場

1204昼

 久しぶりに私がつまらないと感じる方向性の2.5次元舞台を観た。というか、2.5次元作品をそもそも観なくなった……?(と思っていたら年明けから怒涛の観劇数を重ねる羽目になっているのだが)

 弊ブログでは何度も書いているが、「原作そのまま」の2.5次元演劇が悪いとは考えていなくて、むしろ2.5次元作品持つ根源的な喜びはここにあるべきとも考えているのだが、わたしはここに面白さは見出せないのだ。

 特にわたしは「エスケーエイト」原作に対して、爆速の展開にこそ面白さが宿っていると考えているから、懇切丁寧に「エスケーエイト」をやろうとすると作品の持つスピードに役者の身体がついていかずもたついて見えた。

二兎社公演45『鴎外の怪談』

@東京藝術劇場シアターウエス

1205東京千穐楽

記録:2021年11月 - 感想文としては満点

 11月分で書いてます。そして、つまりこういうことです↓

舞台『あいつが上手で下手が僕で』

@かつしかシンフォニーヒルモーツァルトホール

1212夜

 1クールにつき1作品しか観られないのに大抵を謎ドラマに費やしてしまうのだが、カミシモはまさにそれで、何故か真面目に最初から最後までドラマを観たので舞台も観た。

 ドラマで1番好きだったのが湘南劇場の常連客だったので、舞台は不在で残念だった。エーステと同じく客席の我々が常連客という設定のようだったが。

 トキの人たちの文脈がわからないのでタイムライン上で盛り上がっていたその辺りの事情では盛り上がれず……鳥越裕貴の芝居が好きだなと改めて思った。情報量が多いのが楽しい。

ガラスの動物園

@シアタークリエ

0118夜

 漫画『ダブル』の『初級革命講座飛龍伝』編の1話目サブタイトルでもある『ガラスの動物園』。野田彩子はこの戯曲に多家良と友仁の何を見たのだろうか。

『初級革命講座飛龍伝』から読み解く漫画『ダブル』 - 感想文としては満点

 「速さ」に偏執していた時期だったので古典の名作戯曲をきちんと観られるのかが不安だったが、楽しめた。

 とはいえあらゆるモチーフを咀嚼できたかというとまったくそんなことはなく、不甲斐ない。暇を見つけて批評など読めたらいいな。

 『ドライブ・マイ・カー』なんかもそうだが、どうしようもないどうにもならないような男を演じる岡田将生は可愛い。

劇場版『呪術廻戦 0』

1224最速上映(バルト新宿)/1230

 初見も原作既読でも楽しめる構成力は見事。

 戦闘シーンの格好良さが突き抜けていて最高だった。MAPPA〜!ありがとう〜!

 特に好きなのは乙骨VS夏油での夏油傑の1回転2hitの蹴り。禪院真希はずっとカッコイイ。そして何と言っても、七海建人の黒閃四連!

 黒閃四連シーンの素晴らしいところは戦闘シーンとしてのアクションの格好良さだけでなくて、未曾有の呪霊テロの中で自分の手に負えない等級の呪霊と戦わざるを得ない状況に陥っていた若い術師と彼らを庇うような動きを見せた七海建人の描写が挿入されていた点にあると思う。七海建人の持つ本質的な部分が端的に描かれているだけでなく、夏油の目指す「大義」の過程にこういう状況が生まれているのだと確かに示されているからだ。好きな人の出演シーンがアニオリとして満点以上の仕上がりで嬉しかった。

記録:2021年11月

二兎社公演45『鴎外の怪談』

@東京藝術劇場シアターウエス

1113昼/1205東京千穐楽

 森鴎外の日常をユーモアたっぷりに描くことで、文学者でありながら軍人としても地位のある鴎外の、文学者としての自分と言論・思想の自由に対する統制を日増しに強める政府と近しい立場にある自分の矛盾に、彼が苦悩した事にスポットを当てた作品。

 いわゆる「怪談」のホラー作品ではないが、鴎外が迎える結末は彼にとっては「怪」であることに違いないだろう。

 鴎外は天皇暗殺を企てたとして多くの無実の者が逮捕され死刑判決を受けた「大逆事件」に体制側と容疑者の弁護側のどちらの立場からも関わることになってしまうが、文学者として作品で暗に政府を非難しながらも、軍人としては裁判を行う前からシナリオを用意する体制側に「裁判は正しく行うべきだ」と進言する勇気を持たずにいた。そんな彼や大逆事件に対して心を揺らす永井荷風に、私は時同じくして少年ジャンプ本誌『呪術廻戦』に登場していた日車寛見を見た。

 まさに日車寛見の東京藝術劇場シアターウエストでの登場時の態度は、荷風が放った「真面目が不真面目に勝ったことがあるか?」であり、これは真面目に生きようともがくひとびとの心の底に澱んだ諦念と言える。開き直った態度を見せたとしても、平気な振りを演じていたとしても、口にするほどきっと傷つく。その傷だらけの心を美しいと思う。

 今この時代/制作の記念の年に、この作品を演る意味は明確で、明らかに伝えていることとしては「いつの時代も醜悪な日本人と政治!」であるとしか考えられないが、荷風が嘆いていたことと同じことで思い悩んでいるだけではあまりにも進歩がなさすぎるから、せめて一歩先の語りをしたいが、なかなか難しい。実際われわれは今どこにいるのだろう。

修羅雪姫

@CBGKシブゲキ!

1119初日

 おかえりずーみんちゃん!!!!!

 相変わらずの生命力で、彼女が戻ってこられないわけがないのだよなと改めて感じた。必然を創り上げられる素晴らしい俳優。

 あずみ初日の公演後に突然決まった挨拶で「こんな私のために」って言ってた彼女がすごく印象に残っていたのだが、今回作中で今泉佑唯演じる雪が「私なんか」って言う度にそのことを思い出したりしていた。みんな雪が好きだしずーみんちゃんが好きだからここまでのことをするのだ。

 噂に聞いていた高橋龍輝の迫力は想像以上で、やっと出会えて嬉しかった。また劇場でお会いできることを楽しみにしている。

 そして全く異なる二役で魅せてくれた吉田智則!好き!

 1月16日にTBSチャンネル1にて再放送があります。

今泉佑唯主演 舞台「修羅雪姫」|音楽 / 演劇・舞台|TBSチャンネル - TBS

機界戦隊ゼンカイジャーショーシリーズ第3弾<11月特別公演>

@シアターGロッソ

1127×2

 初めてのヒーローショー!

 冒頭にGロッソのお姉さんと界人が絡む場面があり、「Gロッソとは何たるか」をいきなり見せつけられた気がして興奮した。

 他にも敵キャラながらも結局良いように界人たちに丸め込まれるステイシーに萌えてる戦隊おじさんの気配を感じたりして、「良い空間だな」と思った。楽しかった。

 キャラクターとしての挨拶中に駒根木くんに演技プランをめちゃくちゃにされたのを必死に立て直そうとする世古口くんを見て、久しぶりにこういう若手俳優仕草を見た気がするなと思ってホッコリしたりもした。久しぶりにこういうものを見た。

記録:2021年10月

劇団鹿殺し活動20周年記念公演『キルミーアゲイン’21』

@紀伊國屋ホール

1002夜

 東京で夢敗れた演劇人たちと地元の仲間たちが団結してダム建設反対を訴えるために芝居を作るべく奮闘するストーリー。

 話の進み方に「劇団の周年記念公演にこれをかけるんだ!?」という驚きもありつつ、 演劇に対するメタ的な視点が面白かったし、歌に音楽にダンスにと盛り沢山で、パロディ的要素も散りばめられていて華やかな雰囲気はお祭りにふさわしい作品だった。

 マイファーストミーツ梅津瑞樹さんはバッキバキの腹筋を惜しげもなく晒したマーメイドでした…………(劇中劇)

millennium parade Live 2021 "THE MILLENNIUM PARADE"

@東京ガーデンシアター

1003夜

 『2992』のイントロのベースなんかは比べてはいけないほど普段聴いてる音源とはまるで違った。やべー。

 そんでもってそんな最高な音楽とリズムに身を任せて踊ることはすーごい楽しい!身体的に自分を解放できることはかなり心身の健康に良い感じがしたのでまた行きたい。初めてライブでめちゃくちゃに踊ったかもしれない(振りコピじゃなくて)。

 年末年始に配信中:Stagecrowd(ステージクラウド)オンライン・エンタテインメント・プラットフォーム

9PROJECT 二代目はクリスチャン

@シアターX

1009夜

 全体的に見た時にすごく好きかと言われるとそんなことはないのだが、ラストのロマンチック自死!『呪術廻戦』17巻に描いてあるエピソードかと思った!最高!

 背中合わせで「私のこと好き?」「好き」「どれくらい?」「いっぱい」「いっぱいじゃわかんないよ」「いっぱい」からのデコチュー!「最後におでこにチューって!」って笑っている君を振り返らせてキスしながら自分の腹に君の刀ブッ刺して死!芥見下々ーーー!!!!!(つかです!)

バック・トゥ・ザ・フューチャー』公開35周年記念4Kニューマスターラスト・ラン

 大好きな映画!

 元気なオタクなので何を観ても『呪術廻戦』の話をしている。

『呪術廻戦』17巻

 芥見下々の性癖盛り盛りガールズラブガールズラブデビューする子供たちが全国に沢山いるのかと思うと、すごい。

 

 

綾野剛の演技に感じた「本当」への渇望〜なぜわれわれは『MIU404』に熱狂したのか

 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、多くの人が“ステイホーム”を余儀なくされた。私自身も仕事が在宅勤務に移行し、楽しみにしていたイベントが軒並み中止になり、友人を遊びに誘うのも躊躇われる状況下で特に春から夏にかけては家に引きこもる毎日を過ごした。そんな日々を過ごす中で、いつしか家を出る事自体がおっくうにもなってきた頃に放送開始されたのが『MIU404』だった。

 前作から更にパワーアップした俳優同士のコミカルとも形容できる熱演が注目を集め驚異の高視聴率を叩き出した日曜劇場『半沢直樹』、「逃げ恥」や「恋つづ」などのラブ・コメディで安定した人気を誇り続けるTBS火ドラ枠の『私の家政婦ナギサさん』といった「売れ線」ドラマがライナップされる中、『MIU404』は刑事ドラマのバディものという人気ジャンルであるものの放送前の期待の声はあまり大きくなかったような覚えがある(単に私がテレビドラマの情報が得られるような環境を積極的に構築していないせいもあるだろうが)。しかし結果的には2020年春夏クールはまさにTBSドラマの独り勝ちと言えるほど、前述したドラマのいずれもが高視聴率を誇り、大人気ドラマの称号を欲しいままにした。『MIU404』は何故、他のTBSドラマと同様に多くの人を惹きつけたのだろうか。

 24時間勤務で初動捜査を主業務とする機動捜査隊をテーマにした“ノンストップ「機捜」エンターテインメント“というコピーにふさわしいスピード感でテンポの良いストーリー展開、製作陣の社会の不条理に真摯に向き合いながらもエンタテインメントとしての面白さを突き詰める姿勢、魅力的なキャラクター造形、そして作品が生み出す感動を何倍にも高めた米津玄師の『感電』など。作品の魅力は挙げればキリがない。

 だが私は、『MIU404』が生んだ猛烈な熱狂の中には視聴者が綾野剛の芝居にコロナ禍で失っていたものを見出したからという要素が多分に含まれているのではないだろうか……と考えている。少なくとも、私にとってはそうだった。

リアリティの巧者 綾野剛

 綾野剛といえば「憑依型俳優」と評されることが多い印象だ。「憑依型俳優」という言葉は、まるで役が憑依したかのように役に成りきる能力が高いために見た目から仕草までもがとても綾野剛その人には見えず、綾野剛の存在を感じさせない演技が素晴らしいという意味合いと解釈できる。

 実際、綾野剛は過去に受けたいくつかのインタビューで様々な言い回しを用いて自我を排除し、身も心も役に成りきる方法で演じている、と語っている。

 ところで、私は「リアリティ」と「リアル」は別物であると考えている。あくまでもリアルに「見える」のがリアリティだ。演技はいわば嘘であり、そこに真実性はあれど真実はない。

 これを踏まえると、綾野剛というリアルを殺し、役のリアルを感じさせる演技をする綾野剛は、まさにリアリティを生み出す巧者と言えるだろう。

伊吹藍に確かに感じた綾野剛の魂

 一方『MIU404』での綾野剛の演技はというと、伊吹藍でありながらもその肉体の中に綾野剛の自我もまた存在するように感じられた。綾野剛が作り出した『伊吹藍』はどこか「リアリティ」以上に生っぽく「リアル」に近いのだ。放送中に発売された雑誌のインタビューにしても、伊吹藍という虚構の存在が持ちうるリアル(=「リアリティ」)を生み出しているというよりは、綾野剛の延長線上に伊吹藍がいて、伊吹藍の延長線上にもまた綾野剛がいるような、両者の間に不思議な連続性が感じられた。

 演劇を観ていると、戯曲と役者の人生がオーバーラップし、役の感情と役者の感情がシンクロナイズした場面を目撃することがある。「ハマり役」と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、こんな言葉ひとつでは言い表せないほどに役と役者自身に深い結び付きを感じる瞬間を私は確かに板の上に何度も見とめてきた。そんな瞬間を目撃した時、人は虚構の世界に理想を求めながらも虚構の中の現実ひいては「リアル」を見た時に感動を覚えるのではないかといつも考える。

 綾野剛の伊吹藍にもこれと似たようなものを感じた。演劇のように必ずしもストーリーを順に追って演技を出来るわけでもなく、カットごとの撮影もあるであろうドラマ撮影で、ここまで役との繋がりを持ち続けながら伊吹藍を演じられた綾野剛には度肝を抜かれた。素晴らしい演技だった。

綾野剛が剥き出しにした「本当」の激情に救われたあの日のわたしたち

 仕事に、遊びに、観劇のための遠征に……と家を空けることが多かったから選んだ狭いワンルームに約1週間分の食料を買い込んで篭る日々も、ニュース番組で繰り返し流れる政治家の言葉も、ましてやゲームの中の架空の島も、全てが同列に現実味がないように感じながら2020年の夏を過ごしていた。もちろん過酷な状況下で仕事に忙殺される毎日を送ったエッセンシャルワーカーの方々も多いのだろうが、私にとってはリアルであるし、何にせよ今までに経験したことのない特殊な状況に現実感を感じられなかった方は多いのではないだろうか。

 何もかもがリアルに感じられない虚構のような現実の中で踠き苦しみ生きながらえることだけを考えながら、本当の言葉、本当に大事にするべきもの、本当の繋がりを求めた世の中に突如現れた虚構の存在・伊吹藍は、彼が持つ「リアル」を武器に彼が生きる場所であるはずの虚構を破壊し続けるように物語の中を躍動し続けた。そんな彼が、彼だからこそ、『MIU404』本編ラストシーンで虚構だからこそ伝えられる希望をお土産にわれわれに会いに来てくれたような感覚を覚えたのだろう。

 伊吹藍はその「リアリティ」以上の生の質感を持って『MIU404』のテーマを伝えてくれた。これは、ただそのシーンだけの脚本・演出の持つパワーだけでなく、彼自身が積み上げてきた破壊の歴史の結実と捉えざるを得ない。

 『MIU404』放送終了後、2020年11月29日に放送された風野又二朗「風をあつめて」では、綾野剛が以下のように語っていた。

役作りって自分を捨てて……役が主役で自分は裏方っていう感覚がずっとあったからどこまでも綾野剛を捨てて役100%でやってきたんだけど、でも1年半前くらいから自分を織り込んでいく……もっと言ったら、役と綾野剛のハイブリットにするにはどうしたら良いか。時には綾野剛が90くらいでも良いと。時に役が100でも良いと。そうやって感情を作っていく上で、ちゃんと共存するってことから逃げないようにしようってやって……『楽園』ぐらいから、『ハゲタカ』っていう作品が終わってから、ちょっと自分を織り込んでいこう、ちゃんと。で、見つめ直して、『影裏』だとか『楽園』だとか『閉鎖病棟』とか、全部突飛だったんだけど。突飛というか……相当パワーがある作品だったけど、そこで自分を少しでも投下させるというか。自分にも寄り添うために、僕自身が。その完成体が『伊吹』。

 これを聴いて、綾野剛綾野剛自身に寄り添うために表現されたと言ってもいい『伊吹藍』の生っぽさが、結果的に視聴者の心に寄り添う形になったと言っても過言ではないように感じた。

 悩み、傷付き、試行錯誤しながら生きる身体の中に、綾野剛自身の人生をも宿し続けた伊吹藍に、綾野剛自身が燃やした「本当」の激情を感じたからこそ、フィクショナルなこの時代を生きるわれわれは、強烈に伊吹藍と『MIU404』に惹かれたのではないのだろうか。

 時代や社会の流れに翻弄されるうちに疲弊してしまった、まだ伊吹藍に出逢っていないあなたへ。『MIU404』の中で燃え続ける太陽のような伊吹藍から失ってしまったものを感受してみませんか。その激情は「本当」の質感を持って、あなたに前を向く力をくれるかもしれないから。

 

TV Bros. 投稿コンテスト「マイベストカルチャー to 2021」で銀賞〈ドラマ部門〉受賞作品(加筆修正あり)。多くの方に読んでいただき光栄でした。ひとえに綾野剛さんの素晴らしい演技のおかげです。