感想文としては満点

えんげきとことばあそび

『初級革命講座飛龍伝』から読み解く漫画『ダブル』

 漫画『ダブル』存在を知ったのはドラマ化企画が発表されたタイミングだった(野田彩子「ダブル」ドラマ化企画が進行中、世界一の役者を目指す男2人を描く演劇もの - コミックナタリー)。

 「キャスティング予想でもしてこの盛り上がりに乗じようかな」と軽い気持ちでネットで試し読みをしてみたら、畳み掛けるようなモノローグと多家良の才能の描写に圧倒されて「これは紙で読みたいな」と思い、本屋に駆け込むハメになった。

 『ダブル』は、1巻は天才役者・宝田多家良とその代役・鴨島友仁の奇妙な関係と突然に見出される宝田多家良の話を、2巻では共演した人気俳優轟九十九の勧めで映画界の巨匠・黒津壮一の映画オーディションを受け見事に出演が決まるも撮影中にこれまでに作り上げてきた友仁との演技プランやメソッドを否定され別離を迫られることで多家良と友仁の関係が変容するきっかけになる出来事を、3巻では多家良がスターダムにのし上がる様を描いている。

 私が連載に追いついたのは丁度その後の新章とも言える第二十幕「ガラスの動物園」(無料配信中:ダブル - 野田彩子 / 第二十幕 ガラスの動物園 | コミプレ|ヒーローズ編集部が運営する無料マンガサイト)からで、この話では俳優に復帰した多家良に主演舞台のオファーが舞い込む。演目は『初級革命講座飛龍伝』。つかこうへいの初期の作品だ。当ブログの他の記事を読んでいただければわかるが、私は定期的につかこうへいの作品を観劇しているので作中にいきなり身近なコンテンツが登場してかなり驚いた。おまけに「初級」。

 確かに演劇界では「つか以前/つか以後」といわれるほどにつかこうへいは演劇界に衝撃を与えたというし、非営利の場合は上演料がいらないということもあり没後10年を過ぎた今でも様々な作品が様々な場所で上演され続けている。主に小劇場で活躍する(した)俳優が登場する演劇漫画として、日本の作品を取り合うならばつか作品は避けては通れないのかもしれない。また、つか作品ではヒロインにアイドル(それもグループ卒業を控えたり、直後であったりと転換期を間近にした女性)が起用されることがままあるという点においても宝田多家良と今切愛姫の共演作としてつか作品選ばれることの必然性を感じる。が、3人芝居の『初級革命講座飛龍伝』は無料公開されている戯曲のラインナップにも入っていないし、『ダブル』作中にもあるように改稿後の方が人気があるのであまり上演されていない。

 ゆえに私を含めたつか作品(を上演し続けている製作)を観劇し続けている界隈では「つか作品を取り上げるにしてもなぜこれを……?」と少し話題になった。

 作品を読み進めてみると、少なくとも第二十二幕「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」までは単純に演出家・岐華江の言葉につか作品を演出する人間への解像度の高さを感じて興奮していたのだが、同話で作品の風向きが変わって以降は「初級」を引用したことの意味を理解して、その巧妙さに毎月唸るばかりだ。

 その一方で、「この作品の真の面白さを体感出来ているのは読者の中に何割いるのか……?」と疑問に抱くようになってきた。

 私(たち)だけが苦しんでいるのもシャクなので、「つか作品を扱っているからこそ」、「飛龍伝だからこそ」というポイントを解説……というと大仰だがお伝えすることで、他の読者にも「ちゃんと」苦しんで欲しいしあわよくばつか作品の面白さを知って劇場にも足を運んで欲しいと思ったので、この記事を書いた。

 ……といっても、前述の通り「初級」はあまり上演されていないので私も観たことはないため(「飛龍伝」は2020年版『飛龍伝2020』を観劇)どう考えても荷が重い記事構成になるのだが、つか作品はどの作品も根底にあるものは同じであることが多いためにどの作品を深掘りしても結果的に同じテーマについて考えることになる。また、ある作品を観て別の作品の理解が進むというのもまた特徴なので(例えば「初級」以外に『熱海殺人事件』にも熊田留吉という男が登場するのだが、複数の作品に同じ名前が多用されているのも同じ理由だと考えていい)頑張ってみたいとは思う。

 感想を目的としたスクリーンショットのアップロードが認められているようなので問題ないと判断して作品のスクリーンショットを引用するが、問題が見つかり次第画像を削除することを明記しておく。また、それに伴い記事内に最新話までのネタバレが多分に含まれているのでご注意を。

 

登場人物と役者のリンク

 これまでも『露命』のアラタを通して多家良が友仁の心情を理解するなど、俳優/芝居をテーマにした物語には欠かせない作中作と登場人物とのリンクはあったものの、つかこうへい作品で役者と作品に登場する役がリンクするのは必然だ。

 というのも、つかこうへいは「役者に書かせてもらっている」とも著書に書き残しており、役者自身の人となりや置かれた状況を活かすような演出をしていることが多い。主要人物以外は役者の名前をそのまま使うこともあるほどだ。だから、今回は(キャスティング時点では)作品がキャラクター(役者)にリンクしてくるというよりも、作品をキャラクター(役者)に合わせていく感覚に近い。

 「初級」の演出家・華江はつか作品のセオリーを加味しながら、俳優として“一度潰れた”宝田多家良に元全学連でありながら挫折を経験し国が作った挫折公団アパートに住んでいる熊田留吉を見出し、多家良の復帰作として『初級革命講座飛龍伝』を選んだのだろう。

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第二十幕「ガラスの動物園」より

 そして映像作品、ひいてはスターダムへと多家良を導いたきっかけにもなったと言える気心が知れた俳優仲間の九十九を多家良演じる熊田を再び闘争へ引き摺り出そうとする山崎に選んだ。公演する劇場のキャパシティは明らかにされていないが、九十九に関しては集客面でも期待できるだろうからその点も相まってキャスティングされただろうと推測できる。

 では、九十九が降ろされ友仁がキャスティングされたことも同じく、多家良との関係性から見出される意図があるはずだと考えるのが自然だろう。九十九より友仁が「山崎」だと華江は感じたはずなのだ。

 作中の“露骨じゃん対比が/大学行って学生運動してた熊田と…………/中卒で機動隊に入った山崎”に本来華江が意図したところでのキャスティング意図が見える。

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第二十三幕「かもめ」より

多家良の家で「初級」の記録映像を観ているシーン

 黒津監督の“みな生活に困窮しこの衝突の最前線に立っているのだと/一括りに”、“つかさんもそうだったんじゃないかと思う”にもあるように「飛龍伝」では機動隊側は徹底的に貧乏人で学がない男たちが仕方なく機動隊として崇高な革命を阻止する羽目になっているというテイで描かれている。

 貧富、それに伴う学の有無や就労状況に決定的な差がある対比が露骨な2人の男(『飛龍伝2020』では同郷の幼馴染みという設定であり、これによりその格差が更に際立つ)に同じ劇団に所属するものの才能の較差が明らかな芝居仲間に多家良と友仁をあてることは才能を持つものと持たざるものの露骨な対比を生み、俳優・宝田多家良が持つ才能の眩さが光るキャスティングとなる。再び闘争(舞台上)に引き摺り出そうとする山崎という意味合いでも、かつて同じ板の上に立っていた友仁の方が適任と言えるだろう。

 手を握らなかった山崎と手を握った多家良

 『初級革命講座飛龍伝』では、びしょ濡れになって弱っていた小夜子を山崎がアパートに連れ帰り看病をしたことがきっかけで2人は出会い、共に山崎のアパートで暮らすこととなる。

 互いに機動隊員であること、全学連の闘士であることは明かしていながらも、小夜子は“「共産党宣言」読むときも、それを洋菓子屋の包装紙で包み、おれが寝入るのを待って広げていた。闘争に行く時もヤッケとヘルメットを風呂敷で包み、石売りのための四角い箱を隠すようにして出て行った”という。山崎もまた“どんなに苦しくとも、どれほどいとおしく思い合おうとも、俺たちは口が裂けても、お互いの情報を知らせ合うことだけはしなかった。(中略)そしてそれが、手の一つも握ることのなかった俺たちのせめてもの愛の証だった”と信じていた。

 互いに核心には踏み込まないまま、2人はアパートの中で愛を育んだのである。

 多家良が「初級」の稽古場に現れなかった夜、友仁は多家良の家を訪れ、二人で「初級」の芝居について語り合う。かつて多家良が友仁と同じアパートで暮らしていた時のように。ひとつ屋根の下で楽しく語り合う様はまるで山崎と小夜子の暮らしのようで、眠りにつく前の多家良もこのイメージに自分たちを重ねる。

 多家良が山崎と違った点は、「小夜子」であるところの友仁の手を握ってしまったところにある。

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第二十三幕「かもめ」より

かつてのように同じ屋根の下で多家良と友人が布団を並べて眠りにつく前のシーン

 多家良の甘ったれた妄想を断罪するかのように“うまく演れるかも”はあえなく失敗に終わる。肌と肌を触れ合わせ、ふたりが決して踏み込まずにいた公然の秘密に踏み込んでしまったからに他ならないだろう。山崎と小夜子がそうであったように、このふたりの前に横たわっていた秘密もやはり、言わないことがこそが誠実だったのだ。

 翌日の稽古場で多家良がつぶやいた“「俺がいつ愛していると」/「お前を放しはしないと言った」”は山崎の台詞である。

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第二十四幕「カリギュラ」より 

 「初級」の作中、大きな闘争の前夜、小夜子が山崎に共産党宣言を読んではくれないか、同志に会ってはくれないかと懇願する。アパートの中では見せることのなかった闘士の顔を晒し、機動隊員でしかいられない山崎を仲間に引き入れようとする。絶妙なバランスでなんとか成り立っていた小夜子と山崎の暮らしが終わりを告げた瞬間である。

 山崎は小夜子にこう言い詰めた。

俺がいつ、お前のそんなおもちゃのようなヘルメットじゃなく、せめて俺たち機動隊の樫の棒に撲られても大丈夫なだけの、厚いヘルメットをかぶれといった。

俺がいつ、お前のそんなヤワな角材じゃなく、せめて俺たち機動隊の樫の棒とやり合えるような針金でも巻いといてくれといった。俺がいつ、革命なんかやめて、いつまでも俺のそばにいてほしいといった。俺がいつ愛していると、お前を放しはしないといった。

『初級革命講座飛龍伝』より

 多家良は「山崎」に自分を重ね、「小夜子」であるところの友仁の手を握ったつもりだったが、実際にはふたりが隠し通さねばならないはずだった公然の秘密を暴き、共犯関係を壊そうと踏み込んだ「小夜子」の立場にしかなれなかった。

 そもそも、職場に馴染めず失声症に悩むボロボロの多家良を劇団に引き入れ、同じアパートで住まわさせたのは友仁だ。2人は出会いから友仁こそが「山崎」で、多家良こそが「小夜子」であったように思える。多家良は「小夜子」であることを自覚し、「山崎」との蜜月が終わりを告げたことを悟る。

 男と男が愛し合う物語「飛龍伝」

 第二十幕「ガラスの動物園」に“闘争を戯画化した 卑俗化したとも取れる内容”とある。実際そこが面白かった作品と言えるのだろう。が、現代に学生運動はほぼないと言って良いだろう。少なくとも、かつてのような盛り上がりはない。

 現代的な感覚をもとに「飛龍伝」という作品から学生運動という要素を削ぎ落とした時、熊田と山崎の間に浮かび上がってくるのは、かつての美しい青春時代を取り戻そうとする男と男の姿だ。

 小説版(文庫『初級革命講座飛龍伝』、『小説・戯曲 初級革命講座・飛龍伝/中学三年生用童話・飛龍伝』、『つかこうへい傑作選6』に収録)を読むと、熊田に影山(概念としての山崎)がサンオイルを塗ってやりながら、熊田の身体に残る傷跡にこれはあの闘争の時に自分がつけた『俺の傷』だとか、お前に折られた肋骨の古傷が痛むのが今じゃ何か愛おしいだの、自分以外の変な機動隊にやられるなだの、BL的と思える描写がある。また、『飛龍伝2020』でも、清純アイドル菅井友香の硝子のような純粋さを利用することで2人の間で翻弄する彼女を挟んで愛し合う、長年つか作品で共演を続け「添い遂げた」味方良介と石田明が演じた桂木(概念としての熊田)と山崎の姿があった。 

 学生運動が風化した現代で、「飛龍伝」はもはや、闘争を通して青春時代を共に輝いた男と男が互いを求め愛し合う物語としてしか存在し得ないのではないだろうか、と思えてくる。そして、恐らく学生運動の盛り上がりを知る岐斗知生ではなく華江が……そして友仁が作り上げることになるニュージェネレーション「飛龍伝」が男と男が愛し合う物語になってしまうことは必然だ。

 華江が曲がりにも演劇人であることと、側から見ると暴走にも思える友仁の演出めいた演技を止めないことは同じ延長線上にあり、少なくとも友仁の気迫に怯えるようにしてのみそうしていないわけではないというのが私の感想だ。

 また、愛姫がどんなに抵抗しようとも稽古の中で置いてけぼりになってしまうのも少なくとも現代的な「飛龍伝」としての正しさを感じる。

 

 アンダーとして「初級」の稽古場に入った友仁と多家良のやりとりを思い返すと、劇団英雄での多家良と友仁の活動は始めから終わりまで詳細に描かれてはいないが、引用したコマから察するに多家良と友仁の芝居という「闘争」はむしろ日常の中にあったのではないかとも思えてくる。

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第二十幕「ガラスの動物園」より

サプライズでアンダーとして稽古場に現れた友仁とのやり取り

 多家良は友仁を好いていたし、友仁もまたそれに気付いていた。気付いていることにも多家良は気付いていた。互いに気付いていないふりをしながら、10年間同じ屋根の下で暮らしてきた。

 華江の“これねえ二人の中でお決まりの型なのよ/いつもこんなやりとりして/変な話悦に入ってるわけ/日常の中の芝居”に、日常的に「気付いていない」芝居をしてきた多家良と友仁の蜜月がオーバーラップする。

 熊田と山崎が闘争を通して愛し合った青春時代と「闘争」を通して愛し合った自分たちの在りし日々を重ねて、これを“取り返しつかねぇあの愛の日々”と形容し、再び見せてくれよと友仁は強請っているのだと解釈できる。挫折した熊田をふたたび闘争に引き摺り出そうとする山崎のように。

 つまり友仁は、「小夜子」と「山崎」であった多家良と友仁の関係性を、稽古を通して「熊田」と「山崎」として対極にいて闘うことでのみ心を交わすことの出来る、決して性的には交わることなくホモソーシャル的に男と男として愛し合う関係にするを望んでいることを表明し、多家良にもそれを強要しているのだ。その作り笑顔にはえげつない白々しさがある。

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第二十四幕「カリギュラ」より

 愛姫に憎悪を向けるような友仁に気味の悪さを感じた読者は多いだろうが、個人的には友仁は本当に愛姫自身には興味がないように思う。ホモソーシャルに女は入り込めないからだ。

 それよりも、稽古場での友仁の表明と強要こそが「初級革命」編の気味の悪さの正体であり、同時にこの作品に『初級革命講座飛龍伝』が選ばれた理由があるように思える。

 

おまけ的記事を書きました!

自由研究:『初級革命講座飛龍伝』の理解を深める - 感想文としては満点

『初級革命講座 飛龍伝』の上演も決定しましたので是非!(2022年7月22日〜2022年7月25日)

つかこうへいLonely 13 Blues | Information | 株式会社アール・ユー・ピー

 

 野田彩子先生の別名義新井煮干し子によるエロコメお仕事触手BL『ムギくんの胸のうち』も『ダブル』同様名作です。是非。