感想文としては満点

演劇と言葉あそび

ピュアと鈍感と宗教と

2017年10月21日 柿喰う客フェスティバル2017「極楽地獄」夜公演 @赤坂RED/THEATER

 とあるホテルの新人研修も残すところあと少し、60分で終わりだという。教育係ナガシマがホワイトボードに大きく書いた言葉は「芋煮事件」。口にするのも憚れるその事件の名前にあと1時間で新人ホテルマンとなる研修生は不快さを露わにする。その中でひとり、それ言葉にピンときていない顔の女性がいた。その事件はその残酷さ・悲惨さのために報道規制がされており、彼女の無垢さといったら今どき報道規制を簡単にくぐり抜けるインターネットの噂も目にしないほどだったのだ。さて、ホテルマンとして目を背けてはいけないホテル業界の黒い噂・歴史であるその事件の真相とは。ナガシマは語り始め、“あの事件”を「新人ホテルマンのたまご」が追体験する。

 普通に脚本を書くのに飽きたとのたまった中屋敷さんが今回脚本を書いた方法は誰が何を言うとは決めずに台詞を羅列する手法。五万字だか三万字だかの圧倒的文字群である。正確な字数は忘れた。その大多数を永島敬三が語る。凄い。その凄まじさの前ではもはや「凄い」としか言いようがない。全部を永島敬三に任せてもいいのではという中屋敷さんの言葉も頷ける程に彼には引力があり、その魅力に取り憑かれた。ひとたびこちらへ目を向けられるとドキッとしてしまうひとみにどうしようもなく魅せられあっという間の60分だった。

 解り合えない人間に対してスラング的に「人種が違う」などと言うことがあるが、まさにそれで、特に土着の文化慣習に理解が得られないのは悲しいことに“人種が違う”からだ。実際の人種の問題ではなく、生きてきた環境の問題だ。私は魚を生で食べるが、犬は残酷で食べられない。そういう類いのもの。『屠り』という行為に正しい理解が得られず、事件が起きてしまうのはそれぞれ生きてきた環境が違うからに他ならない。“赤坂くん”という外部因子が入り込んでしまった時点で『屠り』は正統なものではなくなってしまった。それが土着の宗教の本質なのだろう。同じ行為であっても、行うひとの気持ち、そして文脈次第でなにかが変わってくる。そのズレは新規と古参のズレのようにも思えてこないでもない。とまぁ、これは余談です。

 人種差別的発言をしては鼻をつまむ政治家の愛人七号を嫁にする赤坂くんはとんでもなく無知で、だからこそ鈍感で、しかしそれは無垢であることと紙一重だとも感じる。そしてそれは天使のようでもあり…。赤坂くん、天使をやめないで!

 内容が内容なので「絶対オススメです!」とは言えないのだけれど、赤坂で1時間ほど時間が取れる方には観ていただきたいのが本音です。この舞台に空席があっていいはずがないと思うのです。

せめて冬と形容させて欲しい

 結局形の変わらないものはないのだったなぁと思い出したり、落胆したりした数日間だった。2017年はそういう年なのかもしれない。出来ればこれから変わっていくわたしを、変わらないまま見守って欲しかったけど、変わってゆく彼女らを変わらないまま見守っていく立場になってしまった。そのことがただ悲しい。

 なんで、どうして、という気持ちはずっと持ち続けていくかもしれない。苦しい。でも若い女の子を掴まえて拒絶する方が、たぶんもっとずっと苦しい。八方塞がりだ。

 正直に、大事に、これまでの五人のことを愛していると伝えてくれた彼女らの気持ちだけが今は唯一の手懸りだ。私のたからものを愛してくれる人が他にもいる。それはきっと救いだ。ただ、今は、今を冬の寒い中に在るのだと思い込みたい。じきに春が来るから。本当は一点の曇りもなくあたたかな道を朗らかに歩いていて欲しかった、本当は走ってすらなくてよかったけど。凍てつく冬も気高く美しく愛おしい彼女らの未来を否定しない為に。今を、冬と形容したい。

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 痛くて、柔らかいものに飛び込みたくなった。でもしない。大人だから。

熱海殺人事件 NEW GENERATION

2017年3月2日 @紀伊國屋ホール

 「熱海殺人事件」を観るのは約四年ぶり二度目。私はこれを観て“演劇”を知ったと思っているので、自分の中で観劇スタイルだとか演劇への想いの様相が変わってきた今のタイミングで観られたことが嬉しかった。久しぶりに観た熱海が前よりずっと楽しめたのも嬉しい。それはもちろん前の方がつまんなかったとかではなく、自分の中でのよい変化の話。

 まりおくんの金ちゃんは、前回に観た戸塚くんの金ちゃんよりも真面目で、普通で、しかし切実な青年で、特にアイ子と熱海の海にいるシーンなんかを戸塚くんはもっと愉快でピエロみたいに演じていたから驚いた。錦織戸塚版がかなり戸塚くんに寄せた特殊な設定になっていたのは知っていたけどそれを置いても“大山金太郎”から受ける印象にかなり差があったので、その差はかなり面白かった。「まりおくん」のイメージは「菊丸英二」とか「三日月宗近」なのにここでは、すごく、「普通」なんだ、みたいな面白さも含んでいると思う。戸塚金ちゃんの方が(比較すると)2.5により近い印象を受ける。失礼を承知で言うと、演技を観て、まりおくんってこんなに演技に対して真摯な俳優なんだなと驚いたしかなり好印象だったので、その普通の青年の感じがまりおくんが演るべき金ちゃんだったんだろうと思う。金ちゃんの素朴さとまりおくんの芝居への実直さが重なって見えた。多和田くんも、お笑い的な意味じゃなく、すっごく面白い俳優で、それなのに変に華があるのが更に面白みを引き立てていて、良かった。もっと板の上で活躍しているところを観たい。

 前回観たのもつかこうへい死後の、錦織一清版だったので観客側としての“NEW GENERATION”の要件は満たしていると思うんだが、だからこそ今作のどこが“NEW GENERATION”だったのかと言われると答えるのが難しい。ここはニュージェネらしいところかなと思ったのは、わかりやすさとドライさ。わかりやすさに関しては、若者でも理解しやすいものになっていたという意味で、ドライさに関しても突き詰めていけば「わかりやすさ」なのかもしれない。これまで何作か つか作品を観てきて、キーとしてあったと思うのが人間の愛が起因のどうにもならないめんどうくささ。「愛ゆえに他人に嫁を寝盗らせる」だとか「愛ゆえに自らが原爆を落としに向かう広島へ恋人を向かわせる」だとかそういう、他人が理解し得ない愛情がそこにはあった。全部錦織一清演出のものなので、錦織さんのつか作品観がそうなんじゃないのって言われたらそれまでなんだけれど、今回はそういうめんどくさい愛は感じなくて、もっと理屈があってそれが若者のドライさを表しているような気がした。

 激しい偏見・罵倒、そして下衆な下ネタはつか作品には散見されるもので、「熱海殺人事件」も例に漏れずそういうものが多い。そういうものを全て許容しようとは思わない。だけど、私は「熱海殺人事件」が好きだ。いつも心に太陽を持ちなさいという言葉に、私は愛を感じられずにはいられない。「熱海殺人事件」には、心に太陽が灯る瞬間が確かにあるから、私はこれが好きなんだろう。ラストの眩しいライトに照らされるシーン、そのライトの熱さと目も開けられない眩しさが太陽のようで、その熱で全部灼きつくして、心も身体も浄化される感覚に陥って、その後にはこの作品への好意だけが残る。この太陽っていうのは伝兵衛の、ひいてはつかこうへいの心の中にある愛なんだろうと思う。

Dステ20th「柔道少年」

2017年2月25日 @ABCホール

 今まで生きてきてほとんどD-BOYSという集団に触れてこなかったし、特に今在籍している人たちに関してはほぼ情報がない状態での観劇だったので、内輪ネタの多さに戸惑って居心地の悪さを感じていた上に、津軽弁の聞き取りにくさが余計に疎外感を感じさせるので、序盤は少ししんどかったが、気付いたら全ての登場人物を知らぬ間に応援していて、「頑張れ、頑張れ」と心の中で唱えていた。隙だらけなんだけれども、そこが愛おしく、応援したくなる。そんなかわいいひとたちの物語だった。Dステ特有の空気感みたいなものがそうさせたところもあるんだろう。ここでしか観られないものを観たな、と思った。

 しかし観劇中に立ったのは生まれて初めてかもしれない!ミッチェルかわいいよ、ミッチェル。