感想文としては満点

えんげきとことばあそび

【超理論】一球勝負の是非〜“天衣無縫の極み”という13月を探して〜

 ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 青学VS四天宝寺感想〜オタクの妄言編〜

そんな9代目の中心にいた仁愛には新緑のような、青い未来のにおいを濃く感じる。実力も伴わないうちから帝国劇場のセンターに据えられてしまいそうなスター性だけれどもそんなもの背負わずにずっと5月のような軽やかさで生きてほしい。軽やかに生きてきてくれたからこそ出会えたひとだから。

【本日の現場】ミュージカル「テニスの王子様」3rdシーズン 青学VS比嘉 - 感想文としては満点 より

 わたしはもう1年も前から「阿久津仁愛が0番に立てばTDCだって帝劇だ」という意識が混濁していると言わざるを得ない主張してきたわけだが、四天宝寺公演を経てこの説が思いがけず信憑性を帯びてきた気がしたので気が違えているうちに気が違えているオタクなりの主張を書き記しておこうと思う。

 一応、言っておきますが全部全部オタクの妄言なので真に受けちゃダメですよ。ダメです。意識が混濁した人間が書いた文章だなあと思いながら読んでくださいね。

 

 3rdシーズン四天宝寺公演を初めて観た感想が「2幕がジャニーズワールドをネルケ流に薄めた感じ」だった。“ジャニーズワールド”というのは2012年に初演された正式名称「JOHNNYS' World」、通称ジャニワであり、前述の帝国劇場の話も暗にこれについて述べていた。この感想は四天宝寺公演とジャニワ(的な舞台)のどちらも観た人にしか共有できないのでもどかしいが、宇宙に行ったり…意味不明な映像を見せられたり…などが該当すると考えている。手塚国光と千歳千里による「百錬自得の極みVS才気煥発の極み」の“まるで宇宙に漂う宿敵”部分、そして越前リョーマ遠山金太郎が対峙する一球勝負がジャニワみたいだと感じた。

 

 改めてこれについて考えた時に、部分的な要素だけでなく、そもそも「テニスの王子様」と「JOHNNYS' World」って構図がかなり似通っていることに気付いた。「テニミュって5年かけて興行されるネルケプランニングによるジャニワだったんだ!?」と。

 ジャニワ(的な舞台*1)のあらすじを説明するのはかなり難しいのだが、13か月目を探して暦の世界を旅することが主な流れであるとわたしは捉えている。そして物語の登場人物は13か月目を探して宇宙に辿り着き、13月の正体を原点回帰に見出し地球に帰って行く。

 一方の「テニミュ」は主人公越前リョーマを擁する青春学園中等部テニス部が全国大会優勝を目指す物語である。そして次回公演(と次々回公演)シーズン最終章のミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 全国大会 青学VS立海にて遂に決勝戦を迎える。この試合で越前リョーマは敵校主将の幸村精市に五感を奪われテニスが出来なくなる。その打開策として“無我の境地”の最後の扉“天衣無縫の極み”を開いて勝利するのがこの試合の顛末だと記憶しているが、天衣無縫の極みの正体が「純粋にテニスを楽しむ気持ち」なのだとしたらそれは越前リョーマにとっての、テニスプレイヤーの原点回帰に他ならないのではないかと考える。

 長い時間をかけてあらゆる悲劇に立ち向かい、原点に答えを見出し回帰していく。それが「テニミュ」と「JOHNNYS' World」の根底にある構造であり、共通点なのである。

 

 突然だが、ショーマストゴーオンという言葉があるが、ジャニーズが興行する舞台が目指す「Show must go on」とミュージカルを含む演劇とショー(というより他の興行)のそれとは大きな解釈の違いがあると考えている。

 四天宝寺公演ではD2で金色小春と一氏ユウジが登場時に着ていた衣装を試合が終わってメンバーがハケる際に全て持ち帰ると言う段取りがあったが、(こんなブログ記事とはいえ記録に残してしまい大変申し訳ないが)大阪公演中に金色小春の衣装をベンチに忘れて全員ハケてしまいあろうことか千田くん演じる忍足謙也が丸見えになりながらも袖から取りに戻ろうとしてしまうという事故が起きたことがあった。

 友人から「あれはあつきくんだったのでは?」という指摘があった(検索などして確認する限り千田くんだと思われる)こともあって多分増子くんはああいうことはしないだろうなぁと思ったのが個人的に記憶に残っている。だからといって千田くんのとった行動が悪いとも思っていない。それは何故かと言うと育ちの違いだから。どちらかと言うとわたしは千田くんが置き去りにされた衣装を見た時大層興奮したくらいだ。というのも、これ個人的にはジャニーズJr.の所作としては完璧と言わざるを得ないから。先輩がダンスしてる時にネックレスを落とせば袖に放り投げ、骨折しててもアドレナリン出して舞台に立つのが出来ジュというものだ(という考えがある中でわたしはジャニオタとして育った)。

 多少不恰好なところを見せてでも無理矢理完璧に近い状態に持っていくのがジャニーズ流の「ショーマストゴーオン」なのだ。対して、その他の興行が想定する「ショーマストゴーオン」は、ミスはミスとして受け止め目の前に起こっている出来事としてその面白さとして受け止める度量の広さを持つことが「ショーマストゴーオン」なのではと思っている。勿論ミスやトラブルはない方がいいのだが、現実として起こる。それをどう受け止め対処するかの反応に差があるとわたしは思うのだ。

 

 今回の一球勝負の演出は賛否あったけれども、あれでよいのだとわたしは思う。少なくとも3rdシーズンの「テニミュ」はミュージカルというよりはスター制度を取ったショーのそれだから。3rdシーズンの演出面で(従来からの)ファンが感じている不満は、とどのつまりこれを受け入れられるか否かであるように感じている。「テニミュ」がこれまで徹底して「キャラクターを舞台上に再現する」という点に拘ってきたところから方向変換を図ってきている。

 役者の身体性を殺しているという意見には同意せざるを得ないが、舞台上で何かを殺している時、何かを生かしているとも考えられる。さて、それが何か?と考えた時やはり彼らのショーマンとしての輝きかなあと思う。

 仁愛は踊りも動きも演技も良くて、でも歌が不得手だねと言われがちだった。今は、少し意地悪な言い方になるが「テニミュ役者並み」には上手いと思う。でもフライングしながらでは?來馬くんに関しても持ち前の身体能力の高さと子役上がりの演技力には光るものを感じたが、歌声は若干不安定。彼らの持つ良いところと、不得手な部分を出来るだけ完璧に近い形で出すためにあのセットは必要だったようにわたしは感じた。ショーマンとしてルーキーズの2人がより輝ける選択があの「こいつをやっつけたい!」だったわけだ。わたしは良い選択だったように思う。

 

 残る試合は全国大会立海戦のみ。仁愛演じるリョーマがどんな「Let’s go to earth」をみせてくれるのか、楽しみです。なんてね。

*1:毎年タイトル内容を変えつつ公演しているためこのように表記します