感想文としては満点

演劇と言葉あそび

「寝盗られ宗介」感想

2016年4月22日 「寝盗られ宗介」 @大阪松竹座

 どういう理由で今回は松竹座で演ったのかはわからないけれど、私は錦織演出のつか舞台を年に一度の特別なものだと思っていて、その為にわざわざ京都に出向くことが好きだったから今回も京都南座で観たかったなと思う。それにしても錦織一清の後輩として舞台に出演していた戸塚くんが座長として後輩と共にこの舞台に出演するなんて感慨深いものだ。
 作品そのものについてはどうも相性が良くなくて、今回はあまり飲み込めなかったんだけれども、宗介の漢気は感じて、そしてそこがたいへん良かった。愛はいつも身勝手だけど粋ならばそれでいいよねと信じているものを更につよくした。
 作中劇は悲劇に終わり、「寝盗られ宗介」はハッピーエンドとして終わったわけだけれど、それが良かったなと、あの観劇のタイミングが相まって強くおもった。福田さんの故郷をみんなで思う気持ちに胸打たれた。“現実”はいつもハッピーであればいいとおもう。座長はみんなのアイドルだし、アイドルはきっと日本を幸せにしてくれるはず。

頂の景色

2016年5月8日ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“頂の景色”再演千秋楽@AiiA Theater Tokyoに寄せて

 再演から劇場に足を運び全部で10公演、約三分の一の公演を、劇団ハイキュー!!を見つめ続けてきた、さいご。おわり。

 技術的に稚拙な役者もいた。それでも千秋楽、終盤の主将 沢村大地を筆頭にした烏野高校排球部の円陣を観て、“その人”として生きることを目標としてきた演者の心意気が力ずくにでも舞台上に在る全てを「本当」にした瞬間を目撃した気がした。それは演技を越えた“リアル”の表現だった。カーテンコールで度々役者の口から出た“頂の景色”という文言は、独自のハイステ文法、ひとつの言い回しなのだろうと思っていたが、千秋楽公演を経て、舞台上演における“頂の景色”は、舞台上の総てをリアルに変える力が最大限に発揮された状態を指すものではないだろうかというひとつの仮説を立てるに至った。そのリアルを追求する表現はなにせ2次元を表現するものであるからリアリズムを伴わないものであり、概念的なものだ。本作は概念的な“頂の景色”を見せる為の行う試みの多様さが魅力であるスペクタクルであり、作中の“頂の景色”に至るまでについても概念的な表現が多かった中で、最後の最後に、劇団の得意とした概念の表現によってその表現方法の最高値を魅せられたことは、これまでの間 演者が試みてきたことが間違っていなかったという証明であり、この作品を上演するにあたっての“頂の景色”であると言えるはずだ。

 カーテンコールで“自分の身体に嘘つかない”が今回この公演に臨むにあたってのテーマだったと語った木村くんのやっていたことが“演技”だったか否かで考えると、恐らく答えは否であったと思う。その言葉通り好きな時に笑っていたように感じたし、千秋楽には泣きそうになったり、寂しさが滲み出ているような顔したり。自由で、本能的で、役者としてこれでいいのだろうかと傍目でみていて思う瞬間は何度もあった。しかし私は“影山飛雄”と木村達成が重なる瞬間を確実にみとめたし、前述の通り彼らの本気がこれを「正解」にしたことは紛れも無い事実であると思う。そしてそれは彼だけの話ではないだろうと思う。加えて、彼のバレーをしている時に見せるその笑顔が好きだったこともまた事実だ。

 “劇団ハイキュー!!”がメンバーを幾度変えてなお続いていくとして、あらん限りの演劇の可能性と、“頂の景色”を追求していく集団であり続けて欲しいものだ。

君こそがアイドル

4月3日 モーニング娘。’16 コンサートツアー春 EMOTION IN MOTION〜 @フェスティバルホール
 彼女達のパフォーマンスを観ていると常に何かに挑戦し続ける人達のことを“アイドル”と呼ぶのかもしれないなと、ひとつの答えが導き出せた気がした。モーニング娘。ハロー!プロジェクトの世界の中で良くも悪くも“主人公”であるという印象がある。ハロプロのリーダーはほかにいるけれど、センターに位置していることが多いし、その世界のある意味での基準であるけれど、ただ彼女たちはそこに留まることはなく常に成長、変化せんとしていた。その姿はまるで細胞か、ひとつの生命体を連想させたし、ステージの上に“モーニング娘。”の生命力を感じた。
 エースと呼ばれた鞘師里保卒業後、12人での初のコンサートツアーだったが、フェスティバルホールには微かに鞘師里保の息吹を感じたし、更に言えば道重さゆみのそれをも感じた。きっともっと前に卒業したメンバーもそれに同じなのだろうと思う。今までモーニング娘。だったすべての女性の何かがどこかに息づいて、今日もモーニング娘。は生きている。
 中でも目を見張る実力を感じたのは小田さくらの歌声で、ドスを利かせようとも、常に水分量を保った独特のその声は、こちらをゾクっとさせた。また、野中美希の才能と成長を感じられたことも嬉しかった。
 アンコール最後の曲「愛あらばIT’S ALL RIGHT」。大きな大きなかのんコール、歌詞、会場の雰囲気全部に感動して、そのすべてに内包される愛を感じずにはいられなかった。かつて歌と共につんく♂氏がモーニング娘。へ贈った愛、モーニング娘。から客席へ贈られる愛、客席からメンバーへ贈られる愛、そのすべてがどれも美しく、涙が溢れそうになった。

舞台「暁のヨナ」

2016年3月17日 舞台「暁のヨナ」昼公演/夜公演@六本木EXシアター
 2.5次元舞台は十何巻、あるいは何十巻にも及ぶ漫画をいかに数時間のひとつの作品に仕上げるかという試行錯誤から制作が始まることが予想できるのだけれど、完全に事前情報が全くなく理解できるかは定かではないにしても、本作は高いレベルで一本の舞台に納めることに成功していたと感じた。特に本作は単行本14巻から16巻までにあたる「水の部族編」を演るということで、物語の導入をどうするのかと期待していたのだが、ワードや事物を使って現在と過去を交差させることで自然に「暁のヨナ」の世界観を表現していたことに感心した。
 新垣里沙さんの少女然とした表情と声が美しくて、ヨナの魅力がたっぷりと伝えられていたのが何よりも「暁のヨナ」の世界観を確固たるものにしていた要素だと感じた。歌手としての彼女の評判はよく聞いていたが、女優としての才能も見とめることが出来たのと同時に、その張りのある声に、彼女の歌手としての才能をも感じた。