感想文としては満点

演劇と言葉あそび

虚仮威しとは如何なる力か

2017年1月20日「虚仮威」@ナレッジシアター

 今、生きている喜びを感じられる。それが劇団柿喰う客の、ひいては演劇のちからで、魅力だなと思う。他人の生の躍動を感じて生きてるのを実感するのは不思議なことだなあと、いつも舞台やコンサートなんかを観ると考える。演劇というものは、少なくとも、多分、私にとって生きるための力なのだ。

 オチこそありきたりな、それこそ山のふもとで伝承されてきた民話ような理屈のものだったが、現代と過去、信じるものと信じないもの、下界と天界、人間と人間ならざるもの。ハイステ二作目でも感じたが、中屋敷さんは対照的なものをひとつの空間に混在させることがうまい。心地よいような 居心地の悪いような絶妙なラインでこころを撫でてくる。その上手さに唸らざるを得なかったし、過去編におけるオチは予想だにしないものであった上に、ムラの気持ち悪さがよく出ていて良かった。私は“血判状”のインクびんが昔から気持ち悪くてだいっきらい。それは古くから「みんなのもの」とされていて、それを家族の為に捧げようとしているのが“ムラの女”っぽくてなんともいじらしく哀しかった。

 「信心」とは如何なる力だろうか。これもまた不思議な力があって、例えばひとりの若い女優の将来を塗り替えてしまうほど大きな力があったりもする。この舞台では複数の人ならざるものが登場するが、それの力をすべて「虚仮威」とするならば、それらはなんの為に人間を虚仮威すのか。世界平和、自己の利益、あるいは虚仮威し行為そのものに意味があるのか。ほんとうのところは、神のみぞ知る、なのだろうが、ひとつ言えることは「信心が足りない」は最高の虚仮威し文句であり、しかしあながち「信心」のもたらす影響がないわけではない。つまり全くのウソでもないということだ。私は所謂「無宗教」だけれども、しかし何らかへの信心は深いつもりでいて、そういう、何かを心で信じることは、生きるために世間へ出来る精いっぱいの虚仮威しなのかもなあ、とかなんとか。虚仮威しているのは神の方なのか、それとも。感想を書くにあたって、最近起きた出来事を重ねてしまった。

ミュージカル「テニスの王子様」3rdシーズン 青学VS六角

2017年1月3日 @メルパルク大阪

 跡部キャストの特技であるバレエが盛り込まれている辺りも含め、劇場が可能性に満ち満ちた空間になるのがテニミュの魅力だよなあと改めて思った公演。“跡部様がバレエ”を正解にしたのはその他をきっちりと演じることが出来ていた跡部含め氷帝の実力ありきだと思う。まぁそれでも突然のバレエには笑いを禁じえないわけですが!しかし氷帝はなんだかチームとして完成された雰囲気だったし、それがすごく好きでした。

 青学メンバーが新キャストになって、初めて初公演から青学メンバーを見守ることになる(予定)であることがとっても楽しみ。今のところは、少年漫画然としたリョーマの主人公力の高さと不二くんの少女漫画のような美貌に惹かれています。

Johnnys’ Mr.KING SUMMER STATION 14:30公演/18:30公演@EXシアター東京

2016年8月12日 Johnnys’ Mr.KING SUMMER STATION 14:30公演/18:30公演@EXシアター東京

 正直めちゃくちゃ楽しかったことしか覚えてないのだけれど、高橋海人くんの才能が燦々ときらめいていたのは確かだったと思う。私の楽しかった2016年の夏をかたちづくるひとつのものであることは間違いないです。

女体シェイクスピア008『艶情☆夏の夜の夢』

2016年8月19日 女体シェイクスピア008『艶情☆夏の夜の夢』夜公演 @ナレッジシアター

 シェイクスピア「夏の夜の夢」を日本風にアレンジ、女性のみで演じるというもの。シェイクスピアの演劇は元々男性のみで演じるものだったんだそうで、そういう点でも面白い試み。アフタートークで脚色・演出の中屋敷さんが、“シェイクスピアが好きで古典は堅苦しく思われがちだがそう構えずもっと色んな人に観てもらいたい”というようなことをおっしゃっていたが、『夏の夜の夢』を日本風にアレンジした表現は「日本人である観客がとっつきやすく わかりやすい」だけでない、説得力があったように感じた。役名地名はそのまま、しかし登場する職人は何故か江戸っ子気質、アテネ公シーシアスの結婚を祝う祭りは市民が円形にせりあがった舞台上をぐるぐると盆踊りで祝う。しかしそれが何故かリアルに感じる。日本語に翻訳して、舞台を日本に置き換えただけではない魅力がそこにあった。

 初めて柿食う客の演劇を観たのだけれど、役者がみなピカピカの存在感があるものだからすごい。すごみと言えばよいのか、その魅力にのめりこむしかなかった。これもアフタートークで知ったことだが韻を踏んだリズムよい台詞回しはシェイクスピアの特徴らしい。魅了的な役者から放たれるつるつると滑るような台詞と、間がよく何から何までするする事が進む様は胸をすくようで観ていて聴いていて気持ちがよかった。目の前のたのしいことしか考えなくてよくて、夏の夜の酔狂みたいな喜劇に酔うのはたいそう気分が良く、この演劇そのものが“真夏の夜の夢”のようだった。

 なにも考えずに取った切符を手に当日になってやっとそういえば“劇団”と冠する集団の演劇を観たことがないなあと気付いて一抹の不安すら覚えて会場に向かったのだが、今まで観てきた演劇はこういうのを目指していたんだろうなあとおもうほどの完璧さで何もかもがちょうどよく、初めてなのに身体に馴染んだ。小ネタもキキすぎず、笑いたい人だけ笑えばよい心地よさはこういう場でしかない感覚かもしれない。

 

 

 

 

 以下はアイドルファンとして興味深かった中屋敷さんのオフタートークでのお話についての話。「」内が中屋敷さんの言葉。

「女性パフォーマンス集団はバラエティ豊かで色んな魅せ方がそれぞれあって面白い」という話の中で「男性のパフォーマンス集団って“カッコイイ男性”ひとつの形しかない」という話をされていて、まさにそうだなと思った。もちろんその“カッコイイ男性”像の中においては様々に幅もあるわけだけど、しかし目指すのはどれも同じといえばよいのか。同じか、逆に振り切るか。意識している時点でどちらにしろ“お手本”はつまり同じ。長い間“ジャニーズ”が台頭していた弊害だとおもうが、そこが面白くもあるとおもう。中屋敷さんが“それ”以外のパフォーマンス集団を確立させたら面白いプロジェクトになりそう。