感想文としては満点

演劇と言葉あそび

感想文/批評文の書き方(インターネット怪文書ライターの場合)

前提として、私はブログがプチバズる度に(なんならそれすら至らなくても)インターネット上でチクチク言われがちなインターネット怪文書ライターであり、万バズどころか千バズもしていないのに都度何かあるのを仲間内では完全にお笑い種にされている始末である。そのため果たして私の文章の書き方を真似しても良いものだろうかという疑問がある。

しかし、ひとつの例を知ることで鑑賞から生まれた思考や感情を書き残すことがもっと身近になれば多様な意見も増えて豊かになるであろう(そして私は埋没出来るであろう)と考え、ブログをどのような思考の流れで書いているかを開示する。こういう嫌味な言い方をするから良くないんだね!

ひとつ書いておきたいのは文章を書くことは「営み」のひとつの形であるということ。己の思考や感情に形を与えることで大事に出来ることもあるというだけの話であるから、他の方法があるなら必ずしも「文章を書く」という形を取る必要はない。ただ私にはこのやり方がベストだから続けているというだけの話である。感想文を(インターネットに)残すというのは冒頭にもある通りデメリットもあるため、これは感想を書くことを推奨するための記事ではない。

ただ、どれだけ言葉を尽くしても伝わらなくて残念に思うことも多いが、チクチク言われる以上に嬉しい言葉もいただいておりそれは文章を公開するメリットである。とても嬉しい。例え意見が違っても健全にコミュニケーションが出来ることは幸せだと感じている。

作品を観る

人の鑑賞態度にケチをつけたくないのでこの辺りはさらっと書くが、兎にも角にも鑑賞しないと始まらないので観よう/読もう/聴こう!

私の場合は集中力が足りない節があり、意識の全てを対象に注いでいることの方が少ないのでその集中出来ていない分の容量で「感想書くとしたらこう書くかもな」「この描写に言及したいな」と考えていることが多い。

しかしわざわざ「感想を書こう」という態度で臨むと集中力が削がれるだろうし、眼差しも曇りそうなのでそんなことはしなくて良い。

テーマを決める

木村伝兵衛は言った。「テーマは愛です」。(つかこうへい『熱海殺人事件』より)

大山金太郎の山口アイ子への愛、熊田留吉と富山の女との愛、そして木村伝兵衛と水野朋子の愛。捜査室に横たわる3つの問題の共通点を「愛」に見定めテーマとすることで、最終的な顛末がどうなろうと熱海殺人事件の捜査は実り多き時間となるわけだ。

……とまぁ、いきなり「テーマを決めてみよう」と言われても戸惑うかもしれないがそこまで難しく考える必要はなくて、一番心に残った事柄を中心にして書いていくと上手くいくくらいのイメージで良い。私もぼんやりと考えながら書き進めてある程度形が決まったら「これが今回の私なりのテーマだったのか」と気付くことがあるのでガチガチに決める必要もない。

私が書いた文章はきちんと「落ちる」ことに定評がある(と思っている)。なぜきちんとオチがつくかというとテーマが定められているからだ。自分の心の内や鑑賞して受けた印象を掘り下げながら書いていくうちに最初に想定していたこととは実は違った方向へと進んだとしても、テーマがあることで少なくとも文章としては一貫性が保たれて読み手に「この人って結局何が言いたかったんだろう?」と思われることはなくなるはずだ。

自分のために書くなら散文でもよいのでテーマは必ずしも必要ではないかもしれない。ただ、なんにせよ文章として残す時にテーマを補助線にして書いていると自分が何を書きたかったのか見失って迷走することは避けられるだろうと思う。

文章を書く

私の書く文章は導入・本文・締めで構成されている。大抵はこの形を成していればある程度まとまった文章になるはずであろう。

導入

なぜこの作品を観たのか、どれだけ楽しみにしていたのか(あるいはどれだけ作品に対して懸念を持っていたか)等、前提を読者と共有するのがベターかと思う。読みやすい文章になるだけでなく、この後に本文または締めを書く時に自分がなぜそう感じたのか、なぜそう考えたのかを掘り下げる助けにもなってくれるはずだ。

後から読んでどんな作品だったか思い出すためにざっと作品の概要を書くのも良い。あらすじは公式サイトなどは確認せずにまずは自分で書いてみると作品の全体像を把握しやすいためおすすめ。自力で書いてから事実誤認がないか公式サイトを確認するとより良い。公式が「正解」だとは微塵も思わないが(ミスリードがある場合もあるし)ニュートラルな状態のライターが書いている文章であることは間違いないので、その差が自分にとっての「肝」になるかもしれない。

本文

突然ストロングなことを言って申し訳ないが、ここはもう書くしかない。ただ、テーマ(書きたいこと)は決まっているはずなので後は「作品でこういう描写があり自分はこのように受け取ったので作品をこのように捉えている」と書けば良いだけだから出来るはずだ。

自分にとって最も心に残っていることがテーマであるはずなので、何をもってそう捉えたのか、感じたのか、考えたのか丹念に書き残していく。上手く言葉が出ないとつらい時もあるが、そういう時は自分が思いつく中で最も近い単語の類語をインターネットで調べてみるとしっくりくる言葉が見つかることもある。

必ず守っていることは、思った/感じた/考えたを一緒くたにしないこと。事実と自分の内だけにあることも混ぜてはいけない。これを守るだけで文章の信用性が一気に増すためだ。また自分が「思った」のか「感じた」のか「考えた」のかを己で問いかけることでより緻密に脳内を表した文章になる。

「もっと読ませるためのテクニックが知りたかったのによ」という方は『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』を読むと良いかもしれない。掴みや文体など様々な作家・著名人の文章を例に挙げて「読まれる」文章のテクニックを紹介している。私は決してバズりたくてこの本を読んでいたのではなく、脳内で星野源とバトっていた時にこれを読んだのだが(星野源の文章を取り上げた章もある)それでも面白かった。

締め

なんかいい感じに締めよう!

……と言うと雑かもしれないが、本文がしっかりしていれば自ずと締められるはずだ。大丈夫。こういうのは中身が大事だから。

私個人の感覚としては「落ちるべきところに落ちていく」。

 

感想とはその人の心の柔らかいところに触れるとても尊いものだと感じているから全ての感想は尊ばれるものであると考えている。批評であっても、作品に対する眼差しは自分だけのものである。大事なのは自分がより愛せる形で残すこと。または残さないこと。

そして鑑賞とは「作品と自分」との世界が生まれることであると考えている。

この記事が、誰もが生まれたばかりの世界を大事にするための一助になればと思う。