感想文としては満点

演劇と言葉あそび

舞台『修羅雪姫 ー復活祭50thー 修羅雪と八人の悪党』感想

 今泉佑唯復帰作として昨年に舞台化され、CBGKシブゲキ!にて上演された「修羅雪姫」が追加キャストを迎え、改編が加えられ、パワーアップして帰ってきた。

 ずーみんちゃん、紀伊國屋ホールへおかえりなさい!

 今泉さんの復帰作だからと前作を観た人も、今回の追加キャストを観てみたい人も、いつも紀伊國屋ホールでつか作品を観ている人にも是非観劇してほしい。この「修羅雪姫」は面白い!

 

 物語の舞台は日清戦争勝利に沸く日本。夫を殺され、夫殺しの濡れ衣を着せられた女が復讐を遂げる為に女囚監獄内で産んだ修羅の子 雪が現れる。雪は「修羅雪姫」を名乗り、仇を取るべく暗躍していた。仇を探す中で出会った貧乏暮らしをしながらも身を寄せ合って生きる貧民窟の人々や、反政府組織のトップ、雪を狙う暗殺者などの登場人物それぞれの思いと大きな陰謀と策略の渦に飲み込まれ、雪は運命に翻弄される。

 前回から引き続き出演している演者の素晴らしさについては、ゲネプロ記者会見で池田純矢さんが述べた「今泉佑唯は天才である」という言葉が何より端的に述べられた主演俳優の魅力であるし、彼女を支えるべく集められ見事にシブゲキでの公演を終えた実績が証明しているのでこの記事ではあえて書かないことにして、新キャストを中心に書いた。

 前回の出演者である松村龍之介さん演じた人斬り恨次の物語において与えられた役割が、今回は瀬戸利樹演じる赤羽勲と玉城裕規演じる王威龍に分けられていた印象を受けた。

 瀬戸利樹さん演じる赤羽勲は、殺し屋稼業を営む雪を追う刑事でありながら、雪と同じく家族を失った過去を持つ赤羽は時に共闘し、支え合うよう場面もある役どころだ。瀬戸さんは、今泉さんが主演を務めた舞台『あずみ〜戦国編〜』で幼馴染のうきはを演じている。柔らかな佇まいが似合うハマり役であったし、「あずみ」と同じく今泉さんと共闘する姿は当時より確実に成長していて、嬉しく思いながら観た。日替わりシーンも楽しくこなす肝の座った姿も見ることが出来た。

 対する王威龍は雪とは完全に相対する立場だ。「良心」的な部分を赤羽が全て負っている代わりに、中国から捕虜として連行されて軍の手先として闘っていた人斬り恨次の設定に、薬漬けにされており「見張りを噛み殺す」ほど凶暴な殺し狂いである設定が追加され、彼にしか演じられない役に改編されていた。人外めいた芝居や動き、そして殺陣は見応えがあった。

 人斬り恨次にも与えられていた「俺は支那人*1」という台詞。人斬り恨次は自らのルーツを唯一のアイデンティティとして心の拠り所にしており、この思いを滾らせた悲痛な叫びが人斬り恨次が発する台詞の中で最も素晴らしかった。今作では王威龍の「俺は支那人だ」に続く「日本人は皆殺しにする」が凄まじかった。雪と対峙しているシーンであるにも関わらず、自らを虐げ奴隷のように従わせる菊井大佐を睨みながらの一言は恨みの籠もった情動を感じられた。会見で「圭ちゃんの下につくのがイヤ。殴られるのが我慢ならない」とのたまった玉城が演じる王威龍ならではの表現であり、細貝圭と玉城裕規の関係性が菊井征一郎と王威龍の関係性に反映された良い芝居だった。

 玉城さんはゲスト出演したドラマ『封刃師』第3話で殺人を犯すことに取り憑かれた役を演じ、早乙女太一と渡り合い見事な殺陣を見せたことが記憶に新しいが、その殺陣を生で見られるというだけでも劇場に足を運ぶ価値がある。勿論、このスピードに充分に食らいついていた今泉佑唯も見事な殺陣だった。

 池田純矢さん演じる徳永乱水は、前作では吉田智則が演じていた役と比べると言葉に説得力があるが少々胡散臭くも感じる。自称インテリの鼻持ちならなさと確かな演説力には妙な色香を感じた。追加シーンとして『飛龍伝』の勧誘シーンの如く持論を説き、雪に揺さぶりをかけるシーンが追加されていたが、是非桂木純一郎を演じて欲しいと思ったほど魅力的だった。

 作品に「思想」を感じてとっつきにくいという声もあるようだが、あくまでも主題ではない。50周年を迎えた「古い」とも表現も出来る作品である『修羅雪姫』を届けるために現代との接続性を持たせるための手段に過ぎないため、小手先の言葉に囚われずに、是非その奥にある作品のメッセージや役者の熱い思いを感じに劇場へ来てほしいと思う。何より、「思想」なんてものは人それぞれに多様にあり、決して縛ることが出来ないことは、多くの個性的な物語の登場人物が証明していると言えるだろう。

*1:作中にある台詞のためそのまま引用しました