感想文としては満点

えんげきとことばあそび

『熱海殺人事件 ラストレジェンド ~旋律のダブルスタンバイ~』感想

 『熱海殺人事件』が、少し早い春を連れて今年もやって来た。

 2021年の「熱海」は『熱海殺人事件 ラストレジェンド ~旋律のダブルスタンバイ~』として、2月から始まる耐震補強のために改装工事に入る紀伊國屋ホールの改装前最終公演として上演された。

 今回の公演の特徴は、副題に“ダブルスタンバイ”とあるように全キャストダブルキャストでの上演だと思う。バトルロイヤル公演の前説では「この状況下で誰が倒れても大丈夫なように」と語られていたが、結果的にダブルキャスト形式での公演は『熱海殺人事件』という作品がどれほどの強度を保っていられるかを実験するかのような公演だったように感じた。

 「熱海」を人生でいちばんの作品として愛している私が言うのもなんだが、実は「熱海」はものすごく面白い戯曲ではない。ただ『熱海殺人事件』というシステムが面白く、これを発明したことが素晴らしいのだ。

 「熱海」は非常に単純な物語だ。登場人物は鼻持ちならない部長刑事の木村伝兵衛、木村の愛人、田舎から赴任してきた新米刑事・熊田留吉、恋人の山口アイ子を殺してしまった犯人・大山金太郎のたったの4人。なおかつ殺人事件の捜査がモチーフでありながら難しいトリックを解き明かしたり真犯人が見つかるようなことはない。しがない工員であるところの大山金太郎が頭で腰紐で女工のアイ子を首を絞めた殺人事件を捜査し、殺意の在りどころを探りながら事件を成長させようと3人の捜査官が奮闘する物語だ。

 「熱海」は、シンプルだからこそ、人間とは何か、愛とは何かといった普遍的なテーマを風化せずに作品に宿し続けてきた。歪みなく人の心を揺さぶり続けてきた。そしてこの自らの生き方にも迷いがある3人の捜査官が犯人を捜査するという堅牢な構造が時代に即した新たなテーマをも抱合することを可能にしてきた。その強さと自由度が怒れる俳優たちの魂を解放させてきたし、「熱海」を何度も上演しても磨耗しない作品にさせてきたのだ。そしてまた、何度も何度も上演を繰り返す強さを持って上演され続けたことで「熱海」はより「熱海」たり得る作品となっていったのだろう。

 時代の流れに添ってあらゆるバージョンの作品が制作され、つかこうへいが死して、様々なテーマを与えられながら上演されてきた作品がついには改竄され、上演され続けてきた。そして今年、遂にはつかこうへいのにおいが染み付いた劇場が改装されてしまう。時代も劇場も観客も新陳代謝を続け、蠢き続けるのを前にして「熱海」はいつまで「熱海」でいられるのか。複数のキャストを入れ替え、積み上げたものを混ぜっ返し、時にはスペシャル公演を挟みながら、世の中に、観客に、役者に、これを問いかけ続けた公演だったのではないか。

 

 池岡亮介さんの大山金太郎は初日から最終日まで妖怪のような金ちゃんだった。思いがけない地点で昂ったり感情が抜け落ちてしまったりと、情動の予測が立てられない。「熱海」の構造を打ち壊しはみ出さんと暴れていたのは彼だろう。

 松村龍之介さんの大山金太郎は相当なクズだった。浜辺のシーンでもなく、自供後でもなく、「タバコくれや」のシーンが彼の金ちゃんが抜群に生き生きしており、なおかつ見どころだったということから鑑みても自明だろう。それでも千穐楽の熱量は凄まじく、千穐楽にしてやっと愛と狂気を持って山口アイ子を殺害した様子を見ることが出来た。

 新内眞衣さんは自己開示が足りていない感じが、良くも悪くも彼女らしかった。フレッシュとは言い難いがとにかく素直で、アンバランスさが愛おしかった。

 “ラストレジェンド”と銘打ってしまったからには出ていただくしかない、つかこうへいの愛娘・愛原実花さん。つかこうへいを知らないメインキャストの中で血の繋がった人間のいることの頼もしさよ。舞台に現れてすぐの「部長!」であんなに怒っている水野を初めて観た。ただ可愛いだけではない、木村伝兵衛と過ごした長すぎるほどの年月を確かに感じる水野朋子だった。多動の愛原さんと多動の石田さんの組み合わせはデンジャラスでエキサイティングで、観ていて楽しかった。改装前最終公演の予告編を小夏の「お疲れさん!」で締めるのがあまりにも正しすぎて、これを演らせるために呼んだ気さえする。

 紀伊國屋のアイドル・細貝圭さんは、石田明が作り上げてきた圧倒的な泥くさい熊田像に新たな風を吹き込ませた。どれだけ這いずり回ろうともふとした時の立ち姿は紛れもなく「イケメン王子」っぽく、富山で女のひとりやふたりは誑し込んで貢がせて弄んでそうだった。かといっていけすかないわけではなく、伝兵衛に喰らいつくその姿はあまりにも愛らしかった。初日は「富山で買ったジャスコです!」と言いきり、最終日にはそのスーツの襟を立てて大山に説教する姿は新たな人間に愛おしさを示してくれた。

 石田明の熊田留吉に今更何を言及することがあろうかというほど、凄まじく芝居が上手く、アドリブで支え、舞台を盛り上げてくれた。『飛龍伝2020』がRUPとも味方良介とも最後の同衾で味方石田のハッピーセットの終極だと思っていたから、予定外の延長戦を見せられているかのようで不思議な気持ちすらあったが、新参の河本江浦を始め熱海初参戦組のよすがとしても、実際に発出されたダブルスタンバイ体制の穴埋め役としても大いに頼もしかった。また、千穐楽に見せた味方良介の怒れる神の如き猛攻に耐えられるのはやはり石田明その人しかいなかったように思う。本当にお疲れ様でした……と言いたいところだが、これからもいつまでも劇場に遊びに来て欲しい。

 木村伝兵衛は2年目の荒井敦史は「ザ・ロンゲストスプリング」仕込みの愛嬌はそのままに、“改竄”されていない捜査室を生き残るための強さを携えて紀伊國屋ホールに舞い戻ってきた。初日時点でもかなり仕上がりがよく、詳細は後述するが劇場空間とのチューニングが上手くいっていなかった様子の味方伝兵衛と比べて「荒井の時代が来たな!」と思ったものだった。荒井伝兵衛はなんと言ってもソフトなところにある。それは大山や熊田に対しての態度が手緩いという意味ではなく、立ち居振る舞いや声色のことで、それが彼ならではの独特な色気を醸し出していた。熱海殺人事件が持つ「人生とは何ぞや」をより濃く伝えてくれたのは彼の木村伝兵衛かもしれない。「改竄」上がりの叩き上げど根性志願兵として、中屋敷さんからもらった「人間くささ」と持ち前の「愛」をもってこれからの紀伊國屋に春を連れてきて欲しい。

参考情報:中屋敷法仁×荒井敦史×多和田任益インタビュー 伝説の舞台の令和初上演はあえて改竄してみる、舞台『改竄・熱海殺人事件』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

「公演やりましょうよ。もうミカティ(味方良介)の時代は終わりだよ」って言って(笑)。

 味方良介さんは5年目で4度目の木村伝兵衛。木村伝兵衛としては既に極まった存在だと紀伊國屋ホールに通い続けた誰もが考えていただろうが、それはとんでもない勘違いで、千穐楽の伸びがあまりにも凄まじかった。このような議論は無意味だと感じているが、それでも言いたい。熱海殺人事件 ラストレジェンド ~旋律のダブルスタンバイ~』千穐楽の味方良介を観てない人間はモグリと言わざるを得ない。役者・味方良介の強みであり魅力はなんと言っても強すぎるほどに強い喉とそこから真っ直ぐに伸びて劇場を制圧する声だが、千穐楽の木村伝兵衛は何を発するでもなく椅子に座り何処かを睨み付けるようにしている様が何をしている時より恐ろしく、印象的だった。まさにラストレジェンドに相応しい出来であったし、味方良介のネクストステージを見た心地だった。

 化物みたいな役者たちによる地鎮祭のような公演が、この状況下としては無事すぎるほどに無事に終わった。新たな劇場に紀伊國屋ホールの神様は再び宿るのか。来年以降、新しいホールで迎える新しい時代の「熱海」は果たして「熱海」たり得るのか。新宿に吹くはずの春風をまた待っている。