感想文としては満点

えんげきとことばあそび

これからを共に走っていく相棒たちへ

 「MIU404」最終話『ゼロ』、無事放送終了おめでとうございます。

 特にこの1ヶ月は毎日この作品の事を考えていて存分に楽しませてもらった。最終回までに「MIU404」を読み解いた足跡を残したいと思って記事を書き進めていて、3000字までは書き進めていたのだけれど間に合わず最終回を迎えてしまった。

 手元に残った下書きはお蔵入りにしようと思っていたけれど最終回を終えた今、まっさらな気持ちで「MIU404」と出会ってしまった神様についての話として大幅に加筆修正して記事にしたいと思う。

 

 ところで私は最終回放送当日になるまでずっと「MIU404」は伊吹に出会った志摩の物語だと思い込んでいた。星野源綾野剛が主人公のドラマなのだと。木曜日に電波ジャックの発表があって改めてサイトの表記を見て「綾野剛 星野源」のクレジットに驚いた。これに気付いてから改めて真っ直ぐに見つめればこの作品は、伊吹が志摩を含むあらゆる人間と出会う中で救ったり救えなかったりする物語だったように感じる。

 

 伊吹藍は美しい。揺るがない美しさがある。第8話放送後に取り寄せた「anan」*1には興味深い『相棒』2人の関係性についてやボーイズトーク(2人の関係性が出ていて面白いので是非買って読んで欲しい)の他に、二人が演じる役の関係を問う質問があった。綾野さんは伊吹を太陽、志摩を月に喩えて“二人が交わった瞬間に金環日食が起こるんじゃないかな”と答えていた。綾野さんがどこまで 明確に思い浮かべてこの喩えを用いたかは定かではないが、月が太陽の一部を隠す部分食でもなく、全てを隠す皆既食でもなく、太陽が月からはみ出して見える「金環日食」と表現したのが象徴的だと感じた。月の陰りに邪魔されない、揺るがない熱を持つ人。それが伊吹藍なのかもしれない。思い返してみれば志摩は伊吹に影響を与えていない。「救ってはいない」と言うべきか。蒲郡は逮捕されたし、志摩を含む誰の影響も受けないまま物語は幕を閉じた。「俺は他人も自分も信用しない」「お前は長生きしろよ」と毎話どこかほの暗さを漂わせた志摩も、勘が働く伊吹を家に招く際に隠さねばならないはずの事故の証拠を見つかるのを待っていたかのようにそのままにして部屋に通す蒲郡も、どこか伊吹に一歩踏み込んで欲しかったのだろうと感じた。許されたかったのかもしれないし、自分がそうしたように誰かに許されないでいたかったのかもしてない。真実は解りかねるが、自分ではどうしようもないピタゴラ装置のスイッチを押してくれる誰かを待っていた。でも伊吹はそうじゃない。志摩を最後まで踏み込ませなかった。第7話の「完全に閉じちまった人間の手は掴めねぇんだ」という陣馬の言葉が脳裏を過る。伊吹は志摩に「言いたいことあるんだろ」と踏み込んでもなお、他者には何も望まなかった。ただ相棒としての志摩を求めていた。この揺るぎなさ。ここに綾野さんが言う伊吹の“ヒロイックさ”*2があって、それは時に太陽のようにも、はたまた神様のようにも映るのだろう。

 私が「MIU404」に惹きつけられたのは伊吹藍に惹きつけられたからで、それは一歩踏み込む太陽だったからということに加えて綾野さんの芝居が興味深かったからだ。徹底的なリアリティ、憑依型の演技、“役を生きる”。どれも当てはまるようで個人的にはどこか違うような気がしていた。「綾野×星野×米津スペシャトーク!」での芝居中は(作品を)良くすることしか考えていないという旨の発言であるとか、もっと直感的な肌感覚で「伊吹藍」という作品に伊吹藍だけでなく、役者のもう一歩先の能動的な表現のにおいを感じたことが要因だった。美しいランニングフォームや近しい人物をあだ名で呼ぶような人懐っこさ、独特の感性などオリジナルドラマということで当て書きされた部分もあっただろうし、実際に役者本人がどこまで意識していたのかや他作品での役へのアプローチは知らないが、今週発売の「anan」*3のインタビューは今までの違和感を全て晴らしてくれる内容だった。綾野さんのインタビューを読んで思ったのは、シームレスだったんだ、ということ。役と自分を切り離せなくなっている物言いの俳優はよく見る。別個の存在として捉えるのは正しい。彼はこのどれにも当てはまらなかった。滑らかに流れるように綾野剛へ伊吹藍へ人格が移り変わり、かと言って混ざり合っているわけでもない。綾野剛の魂と伊吹藍の魂がどちらも優位になることなく並走しているような、確立された並んだ彼らふたりの境界線が見えないというようなイメージが想起された。芝居中に役という悪魔と相乗りしている俳優は今まで何度か見てきたけれど、雑誌のインタビューで見られるとは思わなかった。

 最終回。物語はビデオテープのようにキュルキュルと音を立てて時が戻り、想像し得る最悪の事態は回避された。“間に合った”。しかしクズ、ゴミ、ガラクタ程度の存在の精一杯のひらめき、久住の事件がトリガーになったバタフライエフェクトによって未知の感染症が流行し、オリンピックがなくなった…のかもしれない。突然マスクをつけた人々が行き交う東京に場面が展開し、からっぽの新国立競技場を眺めるマスクをつけた機捜404の姿が映し出される。毎週末私たちを夢中にさせた虚構の彼らが突然今現在進行形で私たちが生きる世界へとやってきたかのような錯覚を起こさせた。私たちをワクワクさせた虚構の「かつての日常」はテレビ画面からすら消えてしまったのだ。途端にシームレスになる彼らと私たちの世界線。伊吹藍は、綾野剛は、確かにその架け橋になっていた。彼の存在こそがこのラストに繋がるヒントだった。

 不自由な「新しい生活様式」。無理やり更新された日常。くそくらえと言いたくなることも多いけれど、もし彼らが共に生きてくれているなら?これもいいのかもしれないと一瞬でも思えた。その刹那が美しかった。 まさか「お前はどうしたい?」の問いかけが私たちに掛けられるとは夢にも思わなかった。4機捜のみんなが、桔梗ゆづるが、マメジが守るこの国で、許してくれない神様に見張られながら私たちは走っていかねばならないのだ。彼らと共に。「コロナ以後」が始まっている。総理大臣が変わる。ゼロからだ。社会の一個、一個、一個を間に合わせるつもりで。きっとここが踏ん張りどきなんじゃないか。

 

これからを共に走っていく相棒たちへ。愛を込めて。

 

 

*1:anan 2020年5月20日

*2:綾野剛星野源最終回直前インタビュー https://www.tbs.co.jp/MIU404_TBS/interview/

*3:anan 2020年9月9日号