感想文としては満点

演劇と言葉あそび

【本日の現場】春のつかこうへい復活祭Vol.1 「熱海殺人事件 LAST GENERATION46」

 週に1度は紀伊國屋ホールに通い「熱海殺人事件 LAST GENERATION46」を観劇した3週間は、大阪でチャレンジ公演を観たその日に夜行バスに乗り込み関東方面へ越してきて生活に慣れるまでの3週間でもあった。その間に「東京に慣れる」あるいは「東京に染まる」とはどういうことか沢山考えた。

 「東京に慣れる」ということは自分を見失わないことではないか。東京だからって街中を歩いているのはお上品な人間ばかりではないし、東京に生まれた者だけが住んでいるわけではない。むしろそうではない人間の方が多いようにすら感じる。そのような雑然とした環境で地方出身者である自分と生来染み付いた癖を、受け止め、コントロールし、いかに自分らしさを失わないでいられるかが、都会でうまく生きる方法だと感じている。

 爪も髪も赤くして東京に染まったつもりのアイ子より、いつまでも長崎弁を話し、カフェバーでコーヒーを値切ることの出来る大山金太郎の方が、よっぽど強く、都会で生きるのに向いた人間であるように感じるのは、私が昭和よりはよっぽど個々が尊重されるようになった平成の今を生きているからだろうか。

 初めて「熱海殺人事件 LAST GENERATION46」を観劇した時、今泉佑唯の才能に驚いたものだ。度胸があり、芝居が上手い。喉も強い。「熱海殺人事件」といえば、私が観てきた中では、若さと才能を持て余した金太郎を縁の下の力持ち的に支える形でアイ子が存在していた印象だったが、今年の金ちゃんはとことんアイちゃんに尽くす金ちゃんだった。今泉さんの才能に付き従うように佐藤友祐の優秀さがあったように思う。今泉さんの溢れんばかりの才能に耐えうる器を求めた結果のキャスティングだったのではないか。

 そんな金ちゃんだったから見えてきた「金ちゃん」像がある。必死に五島の思い出を語る金ちゃんはアイ子に東京での生き方を教えていたのではないか。金ちゃんが「……おいが職工じゃからね」と問うたのはアイ子にせめてものプライドを持たせてやりたかったからではないか。大山金太郎はアイ子のために、東京に染まったアイ子を殺したのではないか。そう考えると、木村伝兵衛の「踏ん張れば殺さんでも良かったんだ」がより活きてくる。金太郎の目に、アイ子の胸の奥に眠っていた「五島のアイちゃん」は映らず終いだった。

 昭和に生まれ、平成を生き抜いてきた「熱海殺人事件」。今年の熱海はまさに平成最後の年に相応しい作品だったと言えるだろう。パンフレットやインタビューでも語られていたが、個々の考えを共有し考え抜かれた作品作りがされていたようでキャストそれぞれに作品に対する理解が見えた。ただ勢いに任せて体当たりで挑んだものではなかったことは観劇した誰もが感じられただろう。優秀な人材で、より丁寧に描くことで、次世代にも耐え得るような補強作業がされていた。大事なのは戯曲ではなく、根底に流れる精神であり、演劇はきっといつまでも自由だ。

 新しい時代も、この作品は生き続ける。いつの時代にも変わらぬ人間の心を伝える為に。平成最後の「熱海殺人事件」を、それが実現出来るだけの作品に仕上げた“最後の世代”の皆さんに、賛辞を込めて。この作品に対する愛を添えて。