感想文としては満点

演劇と言葉あそび

コンテンツに幅を持たせるための“コンテンツの補強”という施策について

 紅白歌合戦の出場者が発表され、企画コーナーでミュージカル『刀剣乱舞』から“刀剣男士”が出演することも同時に発表されました。演劇の1ジャンルである“2.5次元舞台”が新たな広がりを見せたこと、どうやらミュージカル『刀剣乱舞』のプロジェクトが始動した頃からの悲願達成であることなどおめでたい側面もありながらも、一部のファンや他の2.5次元コンテンツに熱をあげるオタク(という表現しか見つからなかった)からは地上波の電波に乗って日本国民の多くが視聴する番組で紹介されることを「恥ずかしい」という声もいくつかあったように見受けられました(あくまでもわたしがそのように思っているのではなく、そのような声もあったという話です)。

 紅白歌合戦は近年企画枠としてアニメや所謂クールジャパンカルチャーの紹介にも力を入れているようにも感じますが、個人的には些か“刀剣男士”が“紅白歌合戦に出陣する”という事柄を唐突な出来事に感じるのは事実だと考えています。

 パフォーマンスのクオリティが2.5次元ジャンルではないミュージカルには劣るケースがあるだとか、オタクには“オタク”的なものをオタク以外に見せるべきではないという意識を持つ者も多いことや、よくわからないものを嘲笑する人が少なからず存在しているという事実など、要因は複合的であるように思われますが、わたしは「NHK紅白歌合戦」という番組が日本国民それぞれの文脈で確かな強度を保っていること、その強度がミュージカル『刀剣乱舞』が持つそれとは差が大きく開いており見合わないことが原因の一つではないかと仮定しました。

 その上で、ミュージカル『刀剣乱舞』を始めとする2.5次元コンテンツはジャニーズやその他アイドルと比べて、外野から見て「なんかかっこいい」と思えるような戦略を張っておらず、“文脈作り”が下手だ(“文脈作り”という表現は語りたかった内容を表現する上で妥当ではなかったように考えたので後述で訂正します)という意見をツイートしたところ、お題箱にて下記のお題が届きましたのでここで回答させていただきたいと思います。

>文脈作りの上手い例が知りたいです!(やはり歴史を重ねてきたテニミュがそうなんだと思うのですが、詳しくなくて…) https://odaibako.net/detail/request/996f54c90bb94c9081ee5b2ac7628175

 前提として明記しておきたいことは、この議論はオタクがどのような姿勢でコンテンツを楽しんでいるかというよりもコンテンツがどのような意思を持って広がりを見せるかという切り口でなされており、“オタクが内輪で盛り上がっている”コンテンツとそうでないコンテンツの間に優劣はないという考えがある上で、あくまでも「紅白歌合戦」に出場するというような“オタク”以外の人の目にも止まるように活動の幅を広げたい場合に“文脈作り”が必要なのではないかというのが論点であることです。また、一概に「広く知られていること」がコンテンツにとって必要だとは考えていません。

 前述で“文脈作り”と表現しましたがコンテンツそのものの文脈というよりも様々な人や別ジャンルコンテンツの文脈上でどれくらいの存在感を持たせられるか、転じて他のコンテンツの文脈からいかに語ることが可能であり、いかに他のコンテンツの文脈においてコンテンツの存在を保っているかが重要なのではと考えたため、以後“文脈作り”としていたものを「コンテンツの補強」と表現します。

 例として「木村達成」を挙げるとすると、その一要素からハイステ:中屋敷法仁(小劇場の文脈)が参加、和田俊輔(他ジャンルの舞台音楽の文脈)が参加、魔界転生堤幸彦が参加(映画やドラマの文脈)松平健(時代劇・高齢者の文脈)が参加というように、違和感のない連想ゲームがどれだけ展開出来るかがコンテンツが広く知れ渡るか、お茶の間に馴染むかの鍵になるかなと考えています。“日本人はドラマにお笑い芸人が出演することを面白いと思える”*1ような民族であるため、特にこの連想ゲームの広がりは大事なように思います。

 

 ミュージカル『テニスの王子様』(以下テニミュ)の語り口のひとつである歴史(2.5次元の元祖であるということ)は勿論テニミュというコンテンツそのものの文脈を強化する事柄の一つではあるとは考えられますが、テニミュコンテンツの補強はテニミュを卒業した役者たちが作り築き更新し続けているというようにわたしは考えています。「エリザベートで帝劇に立っていた城田優はかつてテニミュにも出ていた」「イケパラに出てた城田優はかつてテニミュにも出ていた」「CDを発売した城田優テニミュにかつて出ていた」というように他のコンテンツの文脈から語られることが結果的にテニミュという存在を補強しているわけです。キャスト卒業制度があることでこれは成り立っていますが、でもこれはキャスト卒業制度を作った当時としては意図しない副産物だったように思うので文脈「作り」の例とは言わないかもしれないですね。

 テニミュは「コンテンツの補強」においてはどちらかというと下手な方で、いつの間にか登場した“2.5次元作品”という文脈において元祖としてウッカリ大きく存在感を持ってしまったコンテンツなのではないかと考えています。やってることは今も昔も変わっていなく、新しいことを始めるにしても後手後手に回りがちで新しいことに対してあまり積極的ではないように見受けられます。個人的に(インターネットコンテンツに弱かった)ジャニーズを見ているのとかなり似たような感覚があります。しかし多くの人が“テニミュ”に求めているのは伝統・ある意味での古くささであり、大手コンテンツとしてどっしり構えていればファンの流出は少ないように考えられるし、それでも構わないように思えます。

 

 では「コンテンツの補強」が上手くいっている例として挙げられるのは何か。ネルケプランニングはそこを試行錯誤している最中であって、あまり“上手い例”というのはないのではないかなと考えています。以前のNHKで特集されていたミュージカル『刀剣乱舞』のドキュメンタリーがもう少し早い時間に放送されていたら良かったようには思います(実際、私の横でその番組の録画を観ていた母は、出演者一覧に目を通して刀剣男士の項目を見た後「あのドキュメンタリーでパリに行っていたやつね〜」と直ぐに飲み込んでいたので)。

 最近の2.5次元以外のコンテンツでいえば、「ヒプノシスマイク」は上手いと思っています。声優・キャラクターソングという強い結びつきのあるひとつの2次元コンテンツにこれまで相容れなかったラップ・ヒップホップ文化を持ち込んだのが「ヒプノシスマイク」です。これだけでは突飛に思えるかもしれないけれど、ヒプノシスマイク(ラップ)で闘う理由の設定をするという下地を作った上で、実在の有名ラッパーを楽曲に参加させる事でヒップホップ文化の文脈にひとつの要素として「ヒプノシスマイク」が存在出来るようにコンテンツ作りがされています。

 他にも「ヒプノシスマイク」の楽曲にはオリエンタルラジオ藤森慎吾が参加した楽曲もあり*2、それも一見すると唐突なように思えますが、“チャラ男キャラ”の藤森さんが“ホストのラッパー”の楽曲を制作したというところまであれば違和感はなくなる。これによってお笑いの文脈からも「ヒプノシスマイク」が語れるようになるわけです。

 「ヒプノシスマイク」は各ジャンルの境界線を曖昧にする仕掛けを作りながら他の文脈に「ヒプノシスマイク」の場所をこじ開けるのが上手い印象です。

 

 

 2.5次元領域の製作が2.5次元作品を制作し続けていても、ジャンルとして新しい風が吹かないのもまた事実であって、どこに/どのように風穴を開けるかがこれから先2.5次元作品が成長していくかの鍵であるように思います。そのひとつの施策として「コンテンツの強化」もされていくのだろうなと考えられますが、テニミュを起点に考えても15年の歴史しか無いわけですから、まだまだなんでもやれるしこれからどんどん上手く「世間」と交わることが出来るように思います。

 長々と書きましたが、「演劇」に新しい広がりを見せた「2.5次元作品」が次のステップとして「2.5次元作品」そのものとしてどのような広がりを見せるかはまだ過渡期であるし、“上手い例”は未だに無いと言えるのではないかというのがわたしの考えです。個人的には「2.5次元作品」の成熟を、過程を含め割と楽しみにしてます。

*1:中屋敷法仁ツイキャスより

*2:伊奘冉一二三「シャンパンゴールド」