感想文としては満点

僕が僕らしいまま君を好きで良かった!

劇場空間におけるある種の共犯関係について

 この記事は、特定の演出に関して不信感を持った方に対して批判をする意図や言論を弾圧する意図はなく、また特定の演出家の肩を持つ意図もない記事です。

 観客が物語に介入することが出来る点が演劇の魅力の一つだと思う。勿論なんでもかんでもその場でアクションを起こして物語の進行を阻んでいい訳ではない。演者に気を使ったオタクがやたらと大きい拍手をしたり大声で笑ってあげることを好ましくは思わない。しかし演劇は観客とともに同じ空間で同じ時間を共有することで始めて完成するものだ。映画の素晴らしいところはスクリーンに全ての答えがありそこに完璧な世界が作られている点だと考えているのだが、逆に演劇は観客が完全なる傍観者でいられない空間の共有性、そしてその場の空気や感情の起こりによって表現と解釈に揺らぎが生まれる点が愛おしいと思う。劇場空間において演者と観客との間にはある種の共犯関係が成立するのだ。

 特に「熱海殺人事件」ではテレビやインターネットでは容易に発言出来ない、言ってしまえば炎上間違いなしと思えるような時事ネタを含む発言が飛び交う。その台詞を演者が口に出来るのはひとえにキャパシティ418名の紀伊國屋ホールという閉鎖空間だからこそであるし、そこに集まる人間と演者との間にある種の共犯関係が成立しているからだ。演者がこんな発言をしていたとインターネットに書いて炎上させてしまうことも容易いが、それをするかどうかは個人の裁量に任される。実際、際どいところまでレポートしている観客はほぼいないのではないか。それは、この作品もしくはそれを演じた役者に対してあるいは演劇そのものに対して思いやりや愛を持っているからだ。観客がその空間を共有しているという当事者意識を持っているからだ。それが劇場の中で起こった事件でしかないしそれを外部に漏らす必要がないからだ。

 確かに演者が観客にキスをするという行為は様々な問題のある行為なのだろうと思う。不快感や不信感を抱く人間がいてもおかしくはない。座席の販売方法についても批判が起こることも理解できる。しかし少なくとも、ある特定の演出に関して劇場に足を運んでいない人間がインターネットで批判することはかなりナンセンスなことだと思う。目にした情報について口出ししてしまいたくなる気持ちはわかるし、私自身も自分でも気付かないうちにやってしまっているのだろうが、ましてや普段は劇場に足を運ばずにファンを名乗る「茶の間」に対して批判的なアカウントがそのようなことをするのは恥ずかしくないのかとすら思える。

 個人的には戯曲に書いてあるままの演出であるし、下手に抱きしめるだけだとかそのようなぬるいとも言える演出に変更してしまえば、それは劇場で起こそうとした事象や感情をただのファンサービスに変えてしまうことにもなるだろうと思うのであれでよかったのではないかと考えている。