感想文としては満点

演劇と言葉あそび

頂の景色

2016年5月8日ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“頂の景色”再演千秋楽@AiiA Theater Tokyoに寄せて

 再演から劇場に足を運び全部で10公演、約三分の一の公演を、劇団ハイキュー!!を見つめ続けてきた、さいご。おわり。

 技術的に稚拙な役者もいた。それでも千秋楽、終盤の主将 沢村大地を筆頭にした烏野高校排球部の円陣を観て、“その人”として生きることを目標としてきた演者の心意気が力ずくにでも舞台上に在る全てを「本当」にした瞬間を目撃した気がした。それは演技を越えた“リアル”の表現だった。カーテンコールで度々役者の口から出た“頂の景色”という文言は、独自のハイステ文法、ひとつの言い回しなのだろうと思っていたが、千秋楽公演を経て、舞台上演における“頂の景色”は、舞台上の総てをリアルに変える力が最大限に発揮された状態を指すものではないだろうかというひとつの仮説を立てるに至った。そのリアルを追求する表現はなにせ2次元を表現するものであるからリアリズムを伴わないものであり、概念的なものだ。本作は概念的な“頂の景色”を見せる為の行う試みの多様さが魅力であるスペクタクルであり、作中の“頂の景色”に至るまでについても概念的な表現が多かった中で、最後の最後に、劇団の得意とした概念の表現によってその表現方法の最高値を魅せられたことは、これまでの間 演者が試みてきたことが間違っていなかったという証明であり、この作品を上演するにあたっての“頂の景色”であると言えるはずだ。

 カーテンコールで“自分の身体に嘘つかない”が今回この公演に臨むにあたってのテーマだったと語った木村くんのやっていたことが“演技”だったか否かで考えると、恐らく答えは否であったと思う。その言葉通り好きな時に笑っていたように感じたし、千秋楽には泣きそうになったり、寂しさが滲み出ているような顔したり。自由で、本能的で、役者としてこれでいいのだろうかと傍目でみていて思う瞬間は何度もあった。しかし私は“影山飛雄”と木村達成が重なる瞬間を確実にみとめたし、前述の通り彼らの本気がこれを「正解」にしたことは紛れも無い事実であると思う。そしてそれは彼だけの話ではないだろうと思う。加えて、彼のバレーをしている時に見せるその笑顔が好きだったこともまた事実だ。

 “劇団ハイキュー!!”がメンバーを幾度変えてなお続いていくとして、あらん限りの演劇の可能性と、“頂の景色”を追求していく集団であり続けて欲しいものだ。