感想文としては満点

演劇と言葉あそび

大逆走

2015年10月29日「大逆走」@森ノ宮ピロティホール
 ほとんど前情報なしに観に行った。普段はあまりそういうことはしないのだけれど、吉高由里子のファンだったことがあるので、いつか舞台で演ることがあれば是非とも観に行きたいと思っていたからだ。予想に反して身体表現の多いものだったので驚きつつも新しいジャンルが拓けて良かった。
 登場人物同士の言動がそれぞれイマイチ噛み合わず、突然無意味なことを始めているような感じで気味が悪いんだけれども、でも不思議と居心地が悪いわけでもない不思議な演劇だった。基本的に一貫してその行動についてやっている本人にだけはそれに対して真剣にに取り組んでいるからだと思う。本人にはそれをやる意味が、時として意義すらあるはずなのに世界は理解してくれないし、誰もが噛み合わない。世界に意味は常にあるけど、他人にとってそれはないに等しい。信じているその意味を知り得ないし、理解し得ないからで、つまり他人の正義は自分の正義ではないし、自分の正義もまた他人の正義ではないということ。あるいは、意味は自分で見出さなければならないということだと思う。他人任せに生きちゃだめだ。それって一見冷たいように感じるけど、真理だし、この演劇では最終的に和解ではなく、共存という形で日常へと回帰していくので、あったかかった。
 私が吉高のファンであった当時、彼女は「演じたくない」ひとだった。インタビューでも「女優の仕事は軽い気持ちで始めた、この仕事が好きじゃない」と言っていて、だから生でやる舞台は、観たいとは思っていたけど、この先一生やらないんじゃないかとすら思っていたんだけれど、時を経て、彼女は立派に板の上に立ち、演技をして、身体表現をしていて。そのことに感動した。何かが実を結んだ瞬間を見たなぁと思った。
 さて、ここからは私の個人的な2016年の抱負ですが、舞台を観て改めて、自分の正義は他人の正義ではないし、他人の正義もまた自分の正義ではないと思い知ったので、(朋子を始めとする私が好きな子がステージに立つ意味は私だけのものなので邪魔しないでもらいたいし)私は他人の持つ意味を邪魔しないようにしたいと、そういう目標を掲げて今年もオタクをやっていけたらいいなと思う。
 時は流れましたが、今も吉高は美しかった。