感想文としては満点

演劇と言葉あそび

【本日の現場】ミュージカル「テニスの王子様」3rdシーズン 青学VS比嘉

2017年12月21日〜2018年2月18日 計16公演 @TDCホール,メルパルク大阪

 終わった。終わってしまった。最後の公演は本当にあっという間で、2時間15分、体感時間は30分くらい。本当に。気付いたら立海日替わりだったし、気付いたらリユニオンが始まってた感覚。あっという間だったからこそ全然終わった実感がなくて、あまりメソメソしたくないと思っていたこともあり清々しく終わりの余韻を楽しんでいたのだけれど、3回寝て起きたあたりからじわりじわりと「もう今日は公演ないんだ」と気付いてしまっては忍び寄る寂しさに襲われている。凱旋が始まってしまったら9代目青春学園の卒業に関することばかり書いてしまいそうだったので、本当は比嘉戦がいかに素晴らしいかを凱旋を迎えるまでに書き残しておきたかったけど結局凱旋が始まってしまったし、凱旋公演に通いだしてからは怒涛の1週間だった。計画性が皆無だったために地方公演に全く行けなかったし大阪公演も入ろうと思えばもっと公演に入ることも出来たけど、大千穐楽の挨拶を聞いて意外と42公演しかなかったと知って全然実感がないが公演の三分の一以上観ていることが判明したし、恐らくこれ以上観ていたら飽きてしまうギリギリのラインだったと感じるので、大阪公演をセーブしたのは正解だったはず。オタクである前に演劇ファンでいたいという気持ちがあるので、どれだけ好きな人を見る機会を作れるかというよりもいかに自分がベストテンションで観られるかという基準で観劇するスケジュールを決めることはこれからも大事にしていきたい。マチソワはできるだけしないとかも含めて。合間に地方公演挟むのはやって良かったとおもうけど、それに関しては本当に計画性がなかっただけなので反省。

 特に毎日のように通っていた大阪公演の時に感じていたことだけれども、比嘉公演でなかったらここまで回数重ねられなかったとしみじみと感じながら劇場に通っていた。このカンパニーが大好きとかそういう理由もあるけど、エンタテインメントコンテンツとして造りがすごくよかった。原作モノだし仕方ないところはあるものの複数回繰り返し観るという点においては、特に前回の関東立海戦なんかは特に青学がかなりギリギリ競り勝ったという試合展開だったしいかに己自身に打ち勝つかみたいな試合が多かっただけに複数回観るのはしんどかっただろうと思う。比嘉戦は緩急が絶妙で、ちょうど緊張感が保てなくなるくらいの絶妙なタイミングで曲が始まるし休憩に入る。全編通してベストテンションで観られた印象。

 今回も楽曲がよかった。比嘉戦はジャンルごった煮感があったのでその点でも2時間15分の間で変化があって楽しい。「バイキング2018」はアイドル楽曲大賞2018に投票したい。超超かわいい。吉澤くんが歌う時の発声、正直ミュージカル俳優としてはどうかと思うくらい喉から発声しているように聞こえるのだけれど、“俺だけのカッコイイ立ち姿”と歌うのにはドンピシャにマッチする歌声。観ているこちらの気分は幼稚園のお遊戯会で息子を見守るママ。客席に甲斐くんのママが爆誕した。その鼻にかかったような甘さを持つ未熟な歌声が相まって、甲斐くんは善悪の区別がつかないまま周りに流されて比嘉の“どんな手段も平気さ”というたいへんな倫理観に染まってしまった自我が赤ちゃんの中学生という印象を受けた。吉澤くんのすごいところはこの発声でもほとんど喉を潰さずに42公演やってのけたこと。凱旋公演で久しぶりに観た時はさすがに声の伸びが少し弱くなってたものの、毎公演喉が強いなと感心していた。

「ダークホース2018」はレイヤーとしては沖縄民謡、ヒップホップ、EDMが重なっているイメージ。初日を観た後に「ダークホース2012」も聴いてみたけれども、こちらはヒップホップ的なブラックミュージック感が強い印象を受けた。こっちの方が強そうではある。アイドルオタクなので聴いていて楽しいのは2018バージョンかな。一部の人にしか伝わらない表記だけれども「ダークホース(updated)」という感じが耳に心地よい。沖縄、ワルのイメージからヒップホップ、からのEDMアレンジに変化したのが面白い。

 比嘉通い特に終盤はかなり立海曲「エンブレム(仮)」を楽しみにしていた。真田くんのダンスが体重の重さを感じて好き。筋肉の重さの波動を感じるんだよ…立海は考えるな感じろ……。

 そしてこの公演のMVPがいるとすればそれは間違いなく菊丸役の永田くんだ。大阪公演の休演日明けに、間の取り方が走っているように感じた時はかなりヒヤっとしたけれどもすぐに持ち直したのをみてこんなに出来る役者だっただろうかと感じた。正直その瞬間までそこまで注意を払ってみていなかった存在だったので公演を重ねるごとに増す存在感にも驚いた。一日のうちでも昼公演と夜公演で全く違うニュアンスで同じ台詞を放つので驚きつつ、板の上で生きるとするならばかなり魅力的な役者に化けたと思う。コロコロ変わるその感情表現は全て考えてのことだろうと思っていたがブログを読む限りは少々違っていて、役者のタイプとして思考型/憑依型があるとしたらそのどちらにも当てはまらないような、バックボーンを詰めてあとはその場の感情任せというのは結構リスキーな試みにも感じるのが、意図的にコントロール出来るとなれば彼は相当面白い役者だ。

 比嘉戦大千穐楽が終わって2日くらい経って生ける屍と化してしまった後は兎に角テニミュに接していないと安心できないような気持ちで、六角戦のDVDを観ていたりしたのだけれど、今見返すとかなり仁愛は声カッスカスだし、牧島くんに関しても今より(あくまでも今よりも!)演技が上手くなくて、驚いた。比嘉の仁愛の声は未来を見通せるように澄んだ少年の声だったから。それと同時に運命を信じた。仁愛の声変わりの完成を比嘉大千穐楽に、青学9代目卒業に合わせてくれた神さまありがとう。そして立海戦の「待っててくれ桃城」が響いた私は間違ってなかったなあ。

 凱旋で追加された9代目卒業バラード、言い方が悪いかもしれないけどこういうのって端役からメインキャラにバトン渡されがちなイメージを持っていた。歌割りに敏感な繊細オタクなので歌い出しが不二くんであることに驚いたし、その後に続くのが海堂、越前なのにもかなり驚いた。でもこれがなんだか9代目らしいような微笑ましさ。嬉しかった。牧島くんの声色が明らかに海堂くんとは違った色を持つ優しいもので、初回から泣いた。9代目の絆を歌ったものであり、牧島くんと海堂くんの友情を歌ったものなんだと思って泣いた。原作のあるキャラクターを演じることはある種の難しさがあるけれど、彼の中に確固たる海堂薫像が形成された時の流れを思った。その眩しさといったら。

 ただただ楽しかったので「WE ARE ALLWAYS TOGETER」がアンコール曲として選ばれた意味を凱旋まで考えたことがなかったけれども、凱旋公演が始まって、青学バラードが直前に差し込まれて、やっと気付いた。あれは9代目青学の軽やかさの象徴だ。7代目の始まりの曲であったこの楽曲の“行くぜ繋ぐ絆はテニスで決まり”、インターネットをしていると9代目は7代目と比べて仲が良くないなどと言われていることは知っていたが個人的には友達のようなという意味での仲の良さがあるか否かはカンパニーとしてどちらであっても問題ないと思っているし仲が良くないとも感じないけれども、個々で仲が良くても全体としての繋がりというか全員で何かをやろうとは計画しないドライさは確かに感じていて、しかしそんなマイペースな9代目をこれからも繋ぐのはテニスであって、そんな絆もアリだと私は思う。まぁわたしは9代目のことしか知らないのだが、7代目にとってはテニスで仲を深めていく心意気を示した楽曲で、9代目がこれまで深めた絆をテニスで繋ぎながらも各々自由に外に羽ばたかんとする姿を示したのを観た後、巡り合わせの妙を感じた。すっごく彼ららしくて、くわえて私はそんな9代目青学がだいすきだ。

 そんな9代目の中心にいた仁愛には新緑のような、青い未来のにおいを濃く感じる。実力も伴わないうちから帝国劇場のセンターに据えられてしまいそうなスター性だけれどもそんなもの背負わずにずっと5月のような軽やかさで生きてほしい。軽やかに生きてきてくれたからこそ出会えたひとだから。越前リョーマとしてTDCに立ってくれてありがとうと思う。これはオタクのエゴだけれども彼の思い詰めた素顔を知るのは9代目青春学園だけであって欲しい。そして彼の越前リョーマとして続く道のりがこれからずっと明るくありますようにと願うばかりだ。

 またコートで会おうね。(コールの為に前に出てくる度に客席がワッと沸いて温度が上がる、そんな信頼関係を築くことが出来る要くんが佐伯虎次郎役で本当によかった!)

ピュアと鈍感と宗教と

2017年10月21日 柿喰う客フェスティバル2017「極楽地獄」夜公演 @赤坂RED/THEATER

 とあるホテルの新人研修も残すところあと少し、60分で終わりだという。教育係ナガシマがホワイトボードに大きく書いた言葉は「芋煮事件」。口にするのも憚れるその事件の名前にあと1時間で新人ホテルマンとなる研修生は不快さを露わにする。その中でひとり、それ言葉にピンときていない顔の女性がいた。その事件はその残酷さ・悲惨さのために報道規制がされており、彼女の無垢さといったら今どき報道規制を簡単にくぐり抜けるインターネットの噂も目にしないほどだったのだ。さて、ホテルマンとして目を背けてはいけないホテル業界の黒い噂・歴史であるその事件の真相とは。ナガシマは語り始め、“あの事件”を「新人ホテルマンのたまご」が追体験する。

 普通に脚本を書くのに飽きたとのたまった中屋敷さんが今回脚本を書いた方法は誰が何を言うとは決めずに台詞を羅列する手法。五万字だか三万字だかの圧倒的文字群である。正確な字数は忘れた。その大多数を永島敬三が語る。凄い。その凄まじさの前ではもはや「凄い」としか言いようがない。全部を永島敬三に任せてもいいのではという中屋敷さんの言葉も頷ける程に彼には引力があり、その魅力に取り憑かれた。ひとたびこちらへ目を向けられるとドキッとしてしまうひとみにどうしようもなく魅せられあっという間の60分だった。

 解り合えない人間に対してスラング的に「人種が違う」などと言うことがあるが、まさにそれで、特に土着の文化慣習に理解が得られないのは悲しいことに“人種が違う”からだ。実際の人種の問題ではなく、生きてきた環境の問題だ。私は魚を生で食べるが、犬は残酷で食べられない。そういう類いのもの。『屠り』という行為に正しい理解が得られず、事件が起きてしまうのはそれぞれ生きてきた環境が違うからに他ならない。“赤坂くん”という外部因子が入り込んでしまった時点で『屠り』は正統なものではなくなってしまった。それが土着の宗教の本質なのだろう。同じ行為であっても、行うひとの気持ち、そして文脈次第でなにかが変わってくる。そのズレは新規と古参のズレのようにも思えてこないでもない。とまぁ、これは余談です。

 人種差別的発言をしては鼻をつまむ政治家の愛人七号を嫁にする赤坂くんはとんでもなく無知で、だからこそ鈍感で、しかしそれは無垢であることと紙一重だとも感じる。そしてそれは天使のようでもあり…。赤坂くん、天使をやめないで!

 内容が内容なので「絶対オススメです!」とは言えないのだけれど、赤坂で1時間ほど時間が取れる方には観ていただきたいのが本音です。この舞台に空席があっていいはずがないと思うのです。

せめて冬と形容させて欲しい

 結局形の変わらないものはないのだったなぁと思い出したり、落胆したりした数日間だった。2017年はそういう年なのかもしれない。出来ればこれから変わっていくわたしを、変わらないまま見守って欲しかったけど、変わってゆく彼女らを変わらないまま見守っていく立場になってしまった。そのことがただ悲しい。

 なんで、どうして、という気持ちはずっと持ち続けていくかもしれない。苦しい。でも若い女の子を掴まえて拒絶する方が、たぶんもっとずっと苦しい。八方塞がりだ。

 正直に、大事に、これまでの五人のことを愛していると伝えてくれた彼女らの気持ちだけが今は唯一の手懸りだ。私のたからものを愛してくれる人が他にもいる。それはきっと救いだ。ただ、今は、今を冬の寒い中に在るのだと思い込みたい。じきに春が来るから。本当は一点の曇りもなくあたたかな道を朗らかに歩いていて欲しかった、本当は走ってすらなくてよかったけど。凍てつく冬も気高く美しく愛おしい彼女らの未来を否定しない為に。今を、冬と形容したい。

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 痛くて、柔らかいものに飛び込みたくなった。でもしない。大人だから。

熱海殺人事件 NEW GENERATION

2017年3月2日 @紀伊國屋ホール

 「熱海殺人事件」を観るのは約四年ぶり二度目。私はこれを観て“演劇”を知ったと思っているので、自分の中で観劇スタイルだとか演劇への想いの様相が変わってきた今のタイミングで観られたことが嬉しかった。久しぶりに観た熱海が前よりずっと楽しめたのも嬉しい。それはもちろん前の方がつまんなかったとかではなく、自分の中でのよい変化の話。

 まりおくんの金ちゃんは、前回に観た戸塚くんの金ちゃんよりも真面目で、普通で、しかし切実な青年で、特にアイ子と熱海の海にいるシーンなんかを戸塚くんはもっと愉快でピエロみたいに演じていたから驚いた。錦織戸塚版がかなり戸塚くんに寄せた特殊な設定になっていたのは知っていたけどそれを置いても“大山金太郎”から受ける印象にかなり差があったので、その差はかなり面白かった。「まりおくん」のイメージは「菊丸英二」とか「三日月宗近」なのにここでは、すごく、「普通」なんだ、みたいな面白さも含んでいると思う。戸塚金ちゃんの方が(比較すると)2.5により近い印象を受ける。失礼を承知で言うと、演技を観て、まりおくんってこんなに演技に対して真摯な俳優なんだなと驚いたしかなり好印象だったので、その普通の青年の感じがまりおくんが演るべき金ちゃんだったんだろうと思う。金ちゃんの素朴さとまりおくんの芝居への実直さが重なって見えた。多和田くんも、お笑い的な意味じゃなく、すっごく面白い俳優で、それなのに変に華があるのが更に面白みを引き立てていて、良かった。もっと板の上で活躍しているところを観たい。

 前回観たのもつかこうへい死後の、錦織一清版だったので観客側としての“NEW GENERATION”の要件は満たしていると思うんだが、だからこそ今作のどこが“NEW GENERATION”だったのかと言われると答えるのが難しい。ここはニュージェネらしいところかなと思ったのは、わかりやすさとドライさ。わかりやすさに関しては、若者でも理解しやすいものになっていたという意味で、ドライさに関しても突き詰めていけば「わかりやすさ」なのかもしれない。これまで何作か つか作品を観てきて、キーとしてあったと思うのが人間の愛が起因のどうにもならないめんどうくささ。「愛ゆえに他人に嫁を寝盗らせる」だとか「愛ゆえに自らが原爆を落としに向かう広島へ恋人を向かわせる」だとかそういう、他人が理解し得ない愛情がそこにはあった。全部錦織一清演出のものなので、錦織さんのつか作品観がそうなんじゃないのって言われたらそれまでなんだけれど、今回はそういうめんどくさい愛は感じなくて、もっと理屈があってそれが若者のドライさを表しているような気がした。

 激しい偏見・罵倒、そして下衆な下ネタはつか作品には散見されるもので、「熱海殺人事件」も例に漏れずそういうものが多い。そういうものを全て許容しようとは思わない。だけど、私は「熱海殺人事件」が好きだ。いつも心に太陽を持ちなさいという言葉に、私は愛を感じられずにはいられない。「熱海殺人事件」には、心に太陽が灯る瞬間が確かにあるから、私はこれが好きなんだろう。ラストの眩しいライトに照らされるシーン、そのライトの熱さと目も開けられない眩しさが太陽のようで、その熱で全部灼きつくして、心も身体も浄化される感覚に陥って、その後にはこの作品への好意だけが残る。この太陽っていうのは伝兵衛の、ひいてはつかこうへいの心の中にある愛なんだろうと思う。