感想文としては満点

演劇と言葉あそび

きみに突き抜けるような青い空を見た

2016年8月27日 Summer Paradise 2016 ハシツアーズ〜もうかわいいなんて言わせない〜 @TDCホール 夜公演

 彼の為に誂えられたステージングはまるでジオラマの類いのような精巧さで、完璧に調律されたそれは作品としての矜持を持ち気高く美しい。その完璧さからステージと客席の間には人形を外界から守るアクリルのような隔たりを感じるのに、しかしステージ上部に配置された雲のオブジェ、あるいは彼の歌声によって突き抜けるような高い高い青空も同時に感じる。青年になりいくらか力強くなった彼の歌声だ。完璧でありながらも「空」という不確定要素を孕んだ「ハシツアーズ」という作品は、青く高い空は、彼そのものなのだと知る。

 彼の四年間、あるいはもっと長いアイドル生活のすべてを集約したようなセットリストは、ポップスも、バラードも、ダンスミュージックも、クラブミュージック調にアレンジされた楽曲も、すべてがちょうどよくセットリストに組み込まれ、その選曲も新しい楽曲からよく知った曲まで、ちょうどよいバランス。けれどどの楽曲ひとつとっても過去のものそのままなわけではなく、“もうかわいいなんて言わせない”の文句は触れ込み通りだから感心した。ちょうどよいサイズのハコのちょうどよいくらいの距離感にある座席でちょうどよいそれを観て聴いた。“ちょうどよい”はこの世でいちばん心地よい感覚かもしれない。その心地よい空間の中で彼の奔放さと、彼がこのコンサートへ込める想いだけが多過ぎるくらいにあった。未来を感じる。

 「かっこいいって言ってもらいたい」と語った彼のこのコンサートへの思いはこの作品においてのみの特別なものではなく、彼は、いつもそうだ。愛にあふれたひとだとおもう。たぶん私たちだけでないひとから受けた愛をもぜんぶかえしてくれる。そうやって輝くひとだ。彼がもっとおおきくおおきくなる時も、それでもなお“ちょうどよい”作品と、少し大きいくらいの奔放さと、溢れんばかりの愛を届けてくれたらいいのになあとおもう。退かず、媚びず、そして少しだけ顧みて欲しいなあ。

A.B.C-Z Star Line Travel Concert

2016年8月11日A.B.C-Z Star Line Travel Concert 1部 2部 @代々木第一体育館

 「A.B.C-Zのコンサートは絶対に楽しいよね」が毎度コンサートの後に交わされていた私と友達との合い言葉みたいなもので、そういう信頼感がA.B.C-Zへの一番の愛情だったように思う。“なかま”と呼ぶには遠い距離感だけど確かにみんなで新しくて大事なたからものを抱えている気持ちでいた。みんなで楽しんでいる間だけは無敵だった。

 今回のコンサートはそういう信頼と気持ちを全部裏切られたような気持ちになったコンサートだった。正直「A.B.C-Z 2013 Twinkle Twinkle Star Tour」や「A.B.C-Z Summer Consert 2014 “Legend”」を創りあげた人間がつくったとは思いたくないほど酷い出来で、これなら前回の焼き増しであった方がどんなに良かったかと思う。思想も美学も感じない、投げやりなコンサートだった。

 相変わらずソロコーナーが良い出来だったのが更に悲しさを誘った。何が違うのかわからないけれど、何かが決定的に違う空間の中で、以前と変わらぬ それでいて進化を感じさせる踊りを見せるひとを信じるしかなかった。

 良かった点は大阪公演を経てから書く。今はただかなしいきもちでいっぱいなんだよなあ。

金澤朋子バースデーイベント2016 第一部

2016年7月4日 金澤朋子バースデーイベント2016第一部 @クラブチッタ川崎

 朋子は愛も不安も決意も憧れも情熱も目標も努力も幸せも、つまりどんなプラスの感情もマイナスの感情も、全部全部歌で表現してくれるアイドルだって気付いて、それはファンとしてこの上ない幸せな事象で、ステージにいる朋子がやっぱりだーいすきだなと思えた幸せなイベントでした。わたしはぜったいにここで朋子にもらったものを糧にして生きたい。

 「(この1年つらいこともあったんですよ、個人的に。悩んだりすることとか。)そりゃありますよ人間ですから。」って言ってのける軽やかさがやっぱり好き。誰よりも人間ぽくて、誰よりもアイドルで、それが同居していてなお軽やかできれいで、そういう朋子をあいしています。

ライブ・スペクタクル「NARUTO」

 改めて2.5次元の面白さはその表現においての試みの多様さにあるなと感じた作品。“現実離れした”シーンの再現を、無限にある表現方法のひとつを選び出した結果が面白い。試行錯誤が見えるのも面白いし、試行錯誤の末に辿り着いたのが人力的な方法である事が多いのも面白い。勿論思いもよらなかった新しい表現に驚かされるのも面白い。「手作り」感がみえるのがひとつの魅力かもしれない。

 表現ひとつを取っても、言葉ひとつを取っても、演技に関しても、すべてが大仰で、アラも見えるので、本作の印象をひとことで表すならば「大味」ということばが適切なはずだ。演劇というよりかはまさにスペクタクル、派手な見世物で、まるでヒーローショウのようにも感じられた。しかしそれが「NARUTO」らしい気もするし、少年漫画らしい気もするので、すべてにおいてひとつの正解だったようにおもう。

 一番おもしろいと感じたシーンはチャクラの具現化。“九尾のチャクラが具現化”をプロジェクションマッピングによる映像ではなく、蛍光の九尾によって表現することで歌舞伎のような仰々しさが見えるのが新鮮だった。

 “俳優とそのオーラ”という視点でみると須賀健太という俳優、佐藤流司という俳優は面白いなと感じた。須賀くんはどうしたって華のある俳優というか、陽のひとだなと見ていてわかった。そのオーラは序盤の悪役には適さないのだけれど、不思議と主人公の仲間となればその場で馴染むのでみていてすごく面白い事象を観察出来たのではないだろうか。佐藤くんは自分という器にキャラクターを流し込むのがうまい。2.5のバイブル的な技術力を持っている。それに加えて、彼を注視する観客のひとみが更に彼をキャラクターとして完成させるのではないか。彼は知名度を上げるほどに更に凄みが増していく俳優なのだろうと感じた。