感想文としては満点

僕が僕らしいまま君を好きで良かった!

ひとり虚無リンピック

 みなさん、こんばんは。こちらは、清々しいほどの便乗記事ですが何卒よろしくお願いします。

 巷では虚無舞台への呪詛が書き連ねられたアンケート結果がちょっとした話題ですね。以前から当該ブログのファンなのですが、今回も楽しく拝読しました。そもそも母数や客層の違いや“虚無”という概念の捉え方など作品や人それぞれなので票数には何の意味もなく、同じ虚無を抱える同士が1人でもいることに喜び安心したりするコンテンツだと思うのですが憤慨している人や落ち込んでいる人などもおり愉快だなあと感じています。みんな、自分の感情は自分で守ろうな。

 ところで、様々な意見感想をサーチしていると「好きな作品を貶されて悲しい」と声高に宣言する人でさえも若手俳優オタクから大層嫌われている演出家・岡村氏のことだけは悪口を言うし悪口を言ってもいいと思い込んでいるので面白いですね。自分だけ傷つきたくないという感情はわがままであるように感じます。わたしは「熱海殺人事件」が好きなので氏の悪口についてそこまで共感出来ないなあと思いますし、なによりその一貫性のなさに腹が立ちます。本気の悪口終わり。

 さて、わたしは愉快なクソ舞台のことを愛し、クソすぎるクソ舞台を大変憎く思っているためクソ舞台の悪口を言うことがとても好きなので、このブログを読んでからというもの今まで観劇してきた虚無舞台について何度もツイートしてきたのですがいい加減何度も何度もクソ舞台の悪口をツイートされるのもうるさかろうと思うのでここで個人的にひとり虚無リンピックを開催したいと思います。開催者の独断と偏見でお送りいたしますのでどうかその点を留意いただける方のみご覧ください。「八王子ゾンビーズの件で懲りてないのか」とかは言わないでください。ちなみに「八王子ゾンビーズ」はランクインしておりません。なぜならあれはシンプルにつまらないが故に「帰りたい」という感情が芽生えたからです。あんなに純然たる今すぐに帰りたいという思いを感じたことは未だ嘗てなかったので貴重な経験だったように思います。仕事も講義もきっと目じゃないです。終演後も永遠に鈴木おさむの思想や客演についての悪口を言うなどして楽しい時間を過ごしたので虚無感はあまりなかったです。(しかし21日に更新された早乙女友貴さんのInstagramの動画を観るとバケモノかと思うほど殺陣がうまいので、あの方に意味不明な役を当て無駄遣いをしたという点ではかなりの虚無度かなとも思いました。)

参考動画:yuki saotome on Instagram: “今日もお遊びしてきた。 間違えられるから一応書いとくね。 白・あたし 黒・兄”

 

第五位:2018年9月16日観劇 夏の夜の夢 2018

 正直なところこれをランクインさせるかはとても迷ったのですが、2幕が主役級の方々が永遠にひどい出来の劇中劇を馬鹿にするだけの時間であったので、冷静になるとあれは虚無の時間だったように思いました。

 観た直後はライサンダー演じる加藤さんが人のことを馬鹿にする姿を初めて目にしたので(恐らく今後もない)その物珍しい体験に脳内麻薬が出て楽しいような気持ちになっていました。演出が単純すぎるのでつまらないのですが古典だからまぁ許しました。

 これは虚無であるかどうかは関係なくただの不満なのですが、ついでに言うと妖精役の方たち数名がかなりカタコトの日本語をお話しになる方たちだったのでそもそも内容が入ってこなくて困りました。現代劇ならいざ知らず、シェイクスピアをこの座組でやろうとした運営は少しどうかしているように思います。シェイクスピアは戯曲の響きが大事なので。

第四位:2018年7月観劇 MANKAI STAGE『A3!』~SPRING & SUMMER 2018~

 これは文字通りの虚無舞台です。凱旋が終わるまで内容に関する悪口は避けようと思っていたのですが、あんステがランクインしているのにも関わらずこの舞台がランクインしていないのが不思議に思うので容赦なく書きます。

 物語に中身がないため、まさに板の上には純然たる虚無があり、本田礼生さんが凄いということだけが浮き彫りになります。

 本田礼生さんは凄いです。演技もダンスも上手く、おまけに歌もただ歌うのではなく役としての感情や人格が乗っているし、常にリズム感があるのが見ていてとても気持ちがいいです。リズム感は身体性を測る上で一番目に見えてわかりやすいものだと考えているので、極論を言うとリズム感がない俳優は俳優に向いていないというのがわたしの持論です。とにかく本田礼生さんは凄いです。

 中身がないのに、シトロンの愉快な歌と踊りや、カズナリミヨシの勢いや、皆木綴さんのバカクソデカい声量での「サマーーーー!!!!!!!」や、「THE SHOW MUST GO ON!」の一気に押し寄せてくる客降りなどで煙に巻かれて、「わ、わ〜〜〜!?なんか楽し〜〜〜〜い!!!!??!!!?????」という気持ちになってくるところが更に虚無を誘いました。冷静になると負け。しかし本田礼生さんの演技が観られるので、凱旋公演も楽しみです。

第三位:2016年7月23日観劇 ミュージカル グレイト・ギャッツビー 夜公演@新神戸オリエンタル劇場

 全くもって観劇した記憶がなく、また、舞台の感想も投げやり過ぎたので恐らく虚無の舞台でした。

ミュージカル グレイト・ギャッツビー - 感想文としては満点

 お腹が空いたのでバーカウンターに行ったらポテチか公演オリジナルマフィンしかなく、マフィンを選択したらバカ高くバカ小さいマフィンを売りつけられた記憶しかないです。余談ですが、八王子ゾンビーズの墓場プリンのようなものはそれなりに美味しかったです。

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 ただし、どう頑張っても美味しそうには撮れない。ムーンライトは美味しい。

第二位:2016年3月10日観劇「スーベニア〜騒音の歌姫〜」昼公演@サンケイホールブリーゼ

スーベニア〜騒音の歌姫〜 - 感想文としては満点

 ランクインしていない虚無舞台こそが真の虚無舞台であるという意見もチラホラ見かけましたが、恐らく、これがそれですね。ほとんどジャニオタ(それも一部の)しか観ていないのではないでしょうか。

 ブログ冒頭にもありますが、そもそもごくごく一部のオタクの間で悪名高き「ファウスト〜最後の聖戦〜」という舞台がありまして、その舞台の製作陣による所謂ジャニーズタレント人質舞台です。

 この騒音の歌姫というのを演じるのが大女優三田佳子なのですが、世代間ギャップのあるわたしからすると彼女は本当に評価を得てきた女優なのかと首を捻らざるを得ません。前述の「ファウスト〜最後の聖戦〜」でも(わたしの記憶が正しければ)千秋楽のラストシーンで大事な台詞を3〜4行飛ばすなどという俳優としてあるまじき失敗をしており、謎に声を震わせて熱演される白々しい演技はマジで、本当に、ガチで、観ていられませんでした。人生で唯一ちょっとだけ寝てしまった舞台です。

 そんな彼女が「スーベニア〜騒音の歌姫〜」でも大活躍しており、役所はもちろん“騒音の歌姫”です。そもそもどんなに演技が上手かろうが下手な歌を長い時間聞かされるという一点のみでも不愉快極まりないため舞台の題材として向かないように思うので、何故運営はこれを上演しようと思ったのか全くもって理解しかねるのですが、とにかく歌が下手で不快です。その上演技も下手で二重に苦痛です。下手くそな女優が永遠に下手くそな歌を歌う舞台、何も得られなくてまさに虚無だと思います。

 何故か逆ハー展開のようにこの歌ヘタ女が周りのみんなに好かれるので更に意味不明でした。虚無。南無。

第一位:ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“進化の夏”

 堂々の第1位です。ついに脚本がウォーリー木下になってしまった迷作。

 正直なところキャラ乖離はそれはそれとして受け入れてしまうのでそこに虚無感は感じないです。また、台詞を言うキャラの後ろで延々とキャストがふざけて台詞すら聞こえないのは虚無というよりかはシンプルにうるさいので怒りが湧きますが虚無かと言われると微妙ですが、わたしは、今までハイステが築き上げてきたものが全部ガラガラと音を立てて崩れていってしまった点を持ってこの作品は虚無舞台だと考えます。惜しまれつつ再演で終わっておけば良かったものを。もはやこれは、ハイステでは、ないとわたしは考えています。

 ウォーリー木下の演出は回を追うごとに意味不明になりましたが、進化の夏では箍が外れたかのように意味不明でした。特に月島蛍の考えていることを俳優の後ろにプロジェクションし俳優には全くもって喋らせないという画期的な演出は、わたしたちを「これをみるなら漫画を読むのですが…」という気持ちにさせました。役者が板の上に立つ意味をなくしてしまったらそれはもう純然たる虚無です。虚無の存在、月島蛍。悲しいことです。

 

 

 

 極力「虚無」というテーマからズレがないように選考致しましたが、いかがだったでしょうか。

 「虚無」には“何物もなく、むなしいこと。空虚。”という意味があるらしいのですが(出典:デジタル大辞泉)、“虚無舞台”には大きく分けて3つのカテゴリ分けが出来るように思います。

・内容が無いあるいは興行をする意味が無い(解らない)ので虚無

・俳優の頑張りに見合わないつまらなさなので虚無

・ストーリーが虚無

 個人的には「つまらない」だけの舞台は“虚無舞台”にカウント出来ないのかなと思います。ただひたすらにつまらないだけなので。そして、3つ目は悪い“虚無舞台”だけではないように思います。舞台「刀剣乱舞」悲伝などはバッドエンドのループものなので虚無感は感じて然りだと考えられるので。どちらかというと“空虚感”という表現の方がしっくりくるのではないでしょうか。

 余談ですが、個人的には文ステは良かったです。演出家のオタクなので。デートのシーンのみ虚無を生んでいるように感じました。

 

 蓋を開けてみないと面白いのかつまらないのかも、好みか好みでないのかもわからないのが舞台の良さでありこの趣味の気が狂っているところでもあるとも思います。間違いなくこれは富豪の遊び。これからも1万円程度と数時間を賭けたギャンブルを目一杯楽しみましょうね。皆さんが、そしてなによりわたしが、これからも楽しい観劇ライフを送れますように!出来のいい舞台と上手い役者を愛し、愉快な虚無舞台をちょっぴり愛し、最低最悪の舞台を大層憎んで生きていきます!

 虚無舞台に疲れた方、IHIステージアラウンド東京にて上演中の「メタルマクベス」disc2がオススメです。グルグル回る客席、とっても元気な元きよし、沢山の岡本健一の顔をした妖怪、ヘドバンする尾上松也などが見られるとっても愉快な舞台です。1万3千円とチケットはお高めですが、他の劇場では絶対に味わえない経験が出来ます。もうユッケはたべませーーーん!

 一般チケットも取れるようなので是非是非よろしくお願いします。

ONWARD presents 新感線☆RS『メタルマクベス』disc2 Produced by TBS|ローチケ[ローソンチケット] 演劇・ステージ・舞台チケット情報・販売・予約

うつくしさのなかにある哀しさの気づき

2018年8月25日夜公演 舞台「野球」飛行機雲のホームラン@シアタードラマシティ

 現在、過去、未来。時間も場所も回想として「とある試合」の合間に折り込まれ、始めのうちは時系列が読めないまま、物語は進んでいく。それを眺めていると、この試合の持つ切実さが、意味が、次第に濃く鮮やかに色付くように明らかになってゆく。登場人物のひとりひとりがやがて鼓動を始め、体躯が、感情が躍動し、劇場全体を駆け、その息遣いが感じられるようになる。物理的にも、感覚的にもそれを感じた。

 美しくなんてない、彼らの青春は。そうさせたものを憎らしく思う。それでも、鮮やかで奇跡的で儚くて、出来すぎた物語だった。それを「美しい」と形容することもきっと出来るのだろう。

 演劇に必要なのは大どんでん返しではない。物語が進むにつれて積み重ねられた事実だ。それによってひたりひたりとその予感が迫り、大きな転換を迎える。演劇として、演劇に対して「真摯」な作品というのはそういう作品だと思う。この舞台「野球」飛行機雲のホームランは正にそういう作品だった。わたしはこういう作品こそ多くの人に観て、愛されていて欲しい。それがわたしの、ひとつの“夢”だ。演劇はわたしの夢だ。

 死がそこに待っているからこそ生を強く感じることが出来るのかもしれない。アフタートークの支離滅裂で文脈が読めないほど取り留めなく永田聖一朗の口から紡がれた「舞台は終わりがあるからいいのかもしれないと思っている」という言葉は、しかし、この演劇の本質にかなり近い位置にある言葉でもあったように思える。

 彼は本当に不思議な役者だ。この物語は安西慎太郎演じる穂積均と多和田秀弥演じる唐澤静の友情物語という側面が大きいが、バッテリーである静に昭治が「勝ちたいか、自分らしくやりたいか、どっちだ。」と問いかけた時の静を演じる永田くんの演技は、短いとはいえバッテリーとして組んできた年月と信頼関係を感じさせ、その表れた存在感には目を見張るものがあった。無邪気で何も考えていないように見えて、ここぞという時には必ず人を惹きつける、すこぶる演技が上手い役者だなあと改めて感じた。そのどこまでもアンバランスなところが彼の魅力だ。

 この物語は最終的にあるひとつの目的へと向かっていくのだが、「総ては唐澤静のため」を納得させるパワーを持つのが多和田秀弥という役者の魅力だなと感じる。きっと、悲しいかな、哀しく切実で重すぎる思いをも受け止めてこそスターだし、彼にそのようなスター性を見出すことは彼を知る人物ならば然るべしだ。

 美しいまでによく出来た物語で、それがなおこの物語を哀しくさせる。いま、この時代に、この物語に、演劇に、役者たちに、出会えたことに感謝しか出来ない。

お気持ち表明

 前回の記事がかなり拡散され、お題箱にも様々な意見や感想が寄せられました。Twitterでどれも丁寧にお応えさせていただき、必要に思われる補足はしてきたつもりです。ですがそろそろ、ブログのことはブログでカタをつけようと思います。これ以降に寄せられたこの話題に関するお題について私は目を通しますが、返信いたしません。今まではしていませんでしたが、悪意のあるものだと感じた場合にはその方からの投稿を拒否させていただきます。

 何故かというと、多くはなくてもわたしのことを大切に思ってくれている人たちがいるからです。わたしが一番大切にしたいのはそういう人たちだからです。もしわたしの大切な人たちが今のわたしみたいな状況になっていたら悲しい。わたしはわたしを大切に思ってくれる大切な人たちを悲しませなくないからこの選択をします。それに、これ以上の責任をわたしが取れるとは思えないからでもあります。自由には責任がつきまとうものだと言います。わたしはわたしなりの美学を持って、少なくともブログ上では過ぎた偏見や悪意はなく、その人そのものではなくその技術や才能に対して、主語が大きくならないようあくまでわたしの言葉として、独立したひとつの記事で過不足なく美しい体裁で、わたしの感情を書き留めてきたつもりでした。これだけのことをわたしは遂行してきたと思っています。以上のことで、わたしは自由にものを書くための責任を取っていたつもりです。それでも至らなかったところがあったのだろうといただいたご意見に対して真摯に応えてきました。でも、段々と、わたしがやっていることは必要以上に責任を取らされているだけのように思えてきました。大衆のみなさん、これ以上、わたしにどんな責任を求めるんですか? だから、これ以降この話題に関するお題には答えません。

 わたしはわたしです。ずっとこうです。舞台を観て良いと思ったところを良かったと書き、良くないと思ったところは良くなかったと書いてきました。いままでもこれからもそうです。今までに出会ったわたしを幸せにしてくれた素敵な舞台をわたしが言葉を尽くして讃えた記事が拡散されて「八王子ゾンビーズ」の記事のように多くの人に読んでもらえて、みんながハッピーになってくれればどんなに幸せだっただろうと思います。なんだかうまくいかないなと思います。残念なことです。

 今回「八王子ゾンビーズ」の感想記事がこんなに拡散されたのにはいくつかの理由があると思います。わたしにその要因を責める権利はないです。ここまで拡散したことが想定外であったとはいえインターネットに載せたものである以上、世界中の方から見られる覚悟が必要でした。しかし、正直なところわたしの記事のせいで誰かのネガティブな感情が生まれることは不本意なことでした。あの舞台を観てわたしと同じように感じられた方が共感することは大いに考えられることです。逆にそうは感じなかった方には理解できない考えだったかもしれなかったですね。それだけです。それだけのことだったはずなのに、この舞台を観たこともない方がこの舞台や脚本家にネガティブな感情を抱くことになってしまいました。世に出したものである限りは受け取り手が抱く感情もその反応も受け取り手の自由です。それでも個人的には望んだ反応ではなかった。それをわたしが望んだことのように思われるのは嫌だなあと思いました。

 正直なところ、ズルいなと思う反応も多くありました。わたしを盾にして脚本家や舞台に対して石を投げているように少なくともわたしには感じる人を沢山目にしました。舞台を観てもいないのに更に遠くから石を投げる人もいた。その石が跳ね返ってくるとしたらわたしに返ってくるのに。石を投げた人の責任の全てをわたしは背負いきれないです。当たり前のことです。誰かをダシにして自分で何かを主張している気になっている人たちのことをわたしは本当にズルいなって思います。

 わたしの感情はわたしのものです。誰の手によっても変えられないし、誰かのものにもなり得ないです。だからわたしは攻撃されたとしてもあの感想を取り消したり変更したりすることはありません。加えて、誰かの代弁者にもなり得ないです。だれかのために/代わりに何かを主張したり戦ったりしません。勝手にそういう存在にしないでください。何かを主張したい方はきちんと自分の感情としてそれを表明してください。あなたの感情はあなたのものなので、あなたの責任であなたの感情を守って育てて必要があれば発信してください。わたしは必要以上にいい人ぶったり、逆にものすごく悪意を持った人間にもなりません。そして、この世界中の誰も、そのいずれかをわたしに求める権利はないです。アイドルでも政治家でもない一般人になんらかの在り方を求めることはおかしなことだと自覚してください。

 

 

 わたしは、わたしが美しいと思った形に仕上げた記事を、それとしてそのまま飾っていたかったです。

 おしまい。

エンターテイメントに絶望を感じたくないな

 「八王子ゾンビーズ」を観劇した。なんて不愉快な舞台なのだろうと思った。この平成も最後になろうという夏に生まれていい新作演劇ではなかった。

 ストーリーのつまらなさも、客席で響くタンバリンの音も、スタッフが客席でタンバリンを売り歩いている様も、前説も、主演の声が大きいだけで響かない演技も全部不快で仕方なかった。更には、作中に出てくる更生した元ヤン集団“八王子ゾンビーズ”が「更生した」と言いながらも素直に人に謝れない人たちで好感が持てないこと、一刃に対する掘り下げが一切されず彼がただ人を斬りたいだけの狂人として存在していたことなど不可解な点も多い。しかし、これらのことはどうでもよくなるくらいに不愉快な表現が多かった。早乙女友貴さんの大胆な殺陣も、魅力的なダンスも、牧島くんのキラキラした笑顔も全部台無しだ。一番心に響いた、楓くんのジンとくる心の優しさもだ。鈴木おさむさんにはどうか人を貶めるような「ネタ」で笑いを取って金を稼いでいい時代じゃないことに気付いて欲しい。

 まず最初に気になったことは隅田美保さん演じる「海」の扱い。主に、所謂「ブスいじり」だ。何度も人の容姿を「ゾンビのよう」と彼女の容姿を“イケメン”俳優の口を借りて何度もイジっていた。なんて卑怯な行為なんだろう。その他にも彼女のブラジャーの話題を何度も持ち出し「おばさんのブラジャーナメんじゃないわよ!」と言わせ、挙げ句の果てにはそんなキャラクターではなかったのに突然八王子ゾンビーズに対して「イケメン達に性的なイタズラをするイヤなおばさん」をも演じさせる。ひどい。テレビでよく見た、ブスとイジられても怒らず嗤われることを許し、イケメンにセクハラをする嫌な役を背負わさせられるステレオタイプの「女芸人」そのものではないか。周囲にゾンビ呼ばわりされる海(マリン)に何度も「ゾンビじゃなくてマリン!」という台詞を言わせ、最後の最後に正しく「マリン」と呼ばれたことを喜ぶ海の姿は見ていて痛々しく思った。最初は頭を下げることが出来なかった八王子ゾンビーズのリーダーが頭を下げて主人公にお願いするシーンも然りだが、最初は出来なかったことのレベルが低すぎる。これで何かを乗り越えた感動だと錯覚させようなんて、観客を馬鹿にしすぎではないか。「不良が犬を拾っていたからいい人に見えた」というお決まりの現象のもっと程度が低いバージョンだ。RIKACOさんが演じる市長の「元グラドル、元学園祭クイーン、離婚して今は政治家」という設定もかなり嫌な感じだと思う。

 そして小ネタの話題チョイス。時事ネタと言っていいのかわからないほど演劇のナマ感を理解していない話題のセレクトである日大タックル問題をわざわざ取り上げ、やることといえばタックル加害者学生の会見を茶化しコント化して更に「好感度上がったね〜」と付け加える。こんなに意味もなくただ不愉快になるだけのシーンを脚本に入れるなんて、脚本家はどれだけ愚鈍なのか。怪我をした被害者が実在する事件の、パワハラに苦しんだ加害者学生の会見をイジるなんて、あの会見を見て「この学生は世間からの好感度が上がったな〜」としか感じていないという表明に他ならないように感じる。恥だと思わないんだろうか。思わないからこんな風に茶化せるんだろうな。どうしても時事ネタを取り上げたいというならば、今なら、日本医科大の女性差別問題や日本ボクシング連盟あたりが妥当のように感じるし、それに対する批評があって然るべしだと思う。単にニュースに出てきた人物を晒し者にして茶化せばいいというものではない。知性のかけらも感じない。

 この作品にはマイノリティの哀しさがない。それを描く力量もなく、ただただ「マイノリティ」と思われるキャラクター設定を書き連ねて問答無用ですべて斬りつけ、痛めつけることばかり。観ていて悲しい気持ちになった。人を貶めないと「笑い」を取れないようなら才能がないからコメディなんて、エンターテイメントなんてやるべきではない。「女性をターゲットにした舞台で女性を馬鹿にするような表現をするな」という論調の意見も見かけたがもはやそういう問題ではないと私は考えている。単純に時流に合わない。「現代」の八王子を舞台にした「現代」に生まれた新作演劇の内容としては全くそぐわない。誰かをむやみやたらに傷つけて苦しむ様子を笑って快感を得るなんて、それこそ作中に出てくる希望寺の住職や一刃と同じじゃないか。

 それでも「これが俺のやり方だ」「キモいオタクがなんか言ってるな」と言うならばどうぞテレビの世界に帰って存分にその才能を発揮していただきたい。テレビは不愉快に思えばチャンネルを変えればいいけれど、客に1万円近い金を払わせて集めた閉鎖空間で同じ事が通用するとお思いですか。

 

 

 これは前述の内容とは少し性質の異なる不満に思ったことだが、会場に入る前も、入った後も、上演中もビデオカメラを向けられ、ストレスを感じた。前説中には扉の前から様子を観察するネルケプランニングの会長の姿も見かけた。私たちは、「応援上演」という実験に付き合わされただけの実験台だったのではないか?という考えがよぎった瞬間だった。時代遅れの「笑い」ばかりの脚本を書いておきながら最近流行っていると聞きかじった「新しいことに挑戦」していると自負しニタニタと笑うオジサンが脳裏に浮かぶ。こんなに楽しめない興行を制作しておいて勘違いも甚だしい。

 

 

 ネルケプランニングには今まで沢山の楽しい嬉しいという感情を貰ったから、これからもそうであって欲しい。こんな差別的な表現を多用する脚本をもって「人を楽しませた」と勘違いする脚本家・演出家を許す企業であって欲しくないと心から願う。せめて、エンターテイメントの世界で絶望は感じたくないなあ。