感想文としては満点

演劇と言葉あそび

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熱海殺人事件』を擦り続けながらなんらかのエンタテイメント作品に言及しています。テーマは、愛です。

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綾野剛の演技と『MIU404』について書いた『綾野剛の演技に感じた「本当」への渇望〜なぜわれわれは『MIU404』に熱狂したのか』で、TV Bros.主催投稿コンテスト「マイベストカルチャー to 2021」<銀賞>ドラマ部門賞をいただきました。

受賞作:綾野剛の演技に感じた「本当」への渇望〜なぜわれわれは『MIU404』に熱狂したのか|かちん

 

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剣劇「三國志演技〜孫呉」感想

2024年4月7日夜公演観劇

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早乙女友貴が電話番号を変えたら舞い込んできた仕事シリーズのうちのひとつ*1剣劇三國志演技〜孫呉」を観た。

何故か私の周囲には荒牧慶彦に興味のある人が多い。そして梅津瑞樹を興味深く眺めている人も多い(これは私もだが)。加えて何故か私の周囲には早乙女御兄弟に興味のある人も多い(これにはある程度の因果関係はある)。

そのため、解禁時に多分これは公演期間中はこの作品の話題でXのタイムラインは持ちきりになるかもしれないと思い、私も野次馬しに行ってみることにした。久しぶりに廣野凌大の芝居も観たかったことですし。

という経緯があり、荒牧慶彦に興味なし、三國志の素養なし、なんなら世界史苦手……という最悪のステータスにも関わらず明治座へのチケットを取った次第である。

事前に荒牧慶彦の「ゆるまきば」で三國志講座を流し見したが、世界史が苦手すぎて結局全然話が入ってこなかった。無念。

物語は蜀・魏・呉の3つに分かれた国が鎬を削る時代の呉の国にフォーカスしたもの。戦の中で皇帝の象徴である玉璽を手に入れた孫堅松本利夫)は初出陣となる息子の孫策(梅津瑞樹)を連れて劉表(冨田昌則)の軍に戦いを挑むが、幻術を使うという黄祖(玉城裕規)の手によって命を落とす。孫策は幼馴染の親友・周瑜荒牧慶彦)を軍師とし、親の仇を討つことを誓う。

三國志ファンが満足かはわからないけれど、良質な歴史エンタメだったんではないだろうか。

マクベス』あるいは『ハムレット』のようなシェイクスピア悲劇の要素をベースに、ブロマンス的な男性ふたりの友情モノでもあり、ついでに言うと『走れメロス』のような要素もあった。非常に古典演劇的な台詞を、小中劇場が馴染むような演劇的な手法をとりながら展開していき、なおかつ明治座の舞台機構もふんだんに使いながら派手な殺陣ショーを展開する。贅沢な作品だった。

まず心惹かれるのは梅津の芝居。先述の通り、(何故か)「ド真ん中演劇」なシェイクスピア芝居の味がする作品で、作品の性質と俳優としての彼の性質に非常にマッチしていて観ていて心地よさすら感じた。彼のコミカルな雰囲気の芝居も好きなのだが、今回はコミカルに振りすぎていない印象のシリアスな芝居とエンタメ的な軽い芝居の塩梅が絶妙で、これまで観てきた出演作の中でも1、2を争うくらいに良い芝居だったように思う。

それから荒牧の顔。これは本当にこれはふざけて言ってるんじゃなく、いわゆるミーム的な「顔がいい」でもなく。いや、そういう意味合いになるのか? とにかく顔が良かった。

私はこれまで生きてきた中で微塵も荒牧慶彦の造形やその他諸々すべてに興味を持ってこなかったし今も興味がないが、役名が出て決めの顔をする場面で(2.5次元舞台だと立ち絵を再現するような場面だろう)とびきり見得が切れている姿そして顔を見て「荒牧慶彦の顔がかわいい」とはこういうことかと心底納得した。これが“2.5次元界のトップランナー”の実力なんだろう。

物語の序盤、戦によって家族を失った復讐心に囚われた黄祖孫堅を惨殺するが、この役が妖しい人斬りをやらせたらピカイチの玉城にあてられていたのも良かった。というか、あらすじを読まずとも「わかる」レベルでこのような役を期待していたので期待していたので、息絶える間際の孫堅に「この……残酷狐ッ!」と罵られていた時には非常に興奮した。

復讐心から劉表の嗜めにも耳を貸さず戦場で残酷な殺しを繰り返そうとする黄祖は自身も孫策に復讐心を燃やされていることを感じ、やがて連鎖する復讐の虚しさに気付いていくわけだが、「残酷狐」っぷりを期待していたので残念な反面、ホンとしては非常に面白かった。残酷なまま殺されず、より良い方向へ向かおうとする役はなんだか新鮮な気がした。これが後述する物語の顛末の「読後感の良さ」をより引き立てていて、上手いなあと思う。

かつての黄祖と同じ道を辿るように復讐心の強さから狂い始める。父の幻覚に怯えながら気性が荒くなり、戦を渇望するようになる孫策。その一方で孫策の弟である孫権(廣野)は、幼い故に構ってはもらえなかった父への寂しい思いとそれでも残る憧憬を抱えたまま幼くして喪った現実から逃避するように酒をくすねて飲む。

少年期のいじらしい愛らしさを表現する廣野が可愛い。

抱え切れない現実に対して何も考えたくないと言いながらも、抜群の強さを持つ太史慈早乙女友貴)を慕う姿も可愛い。

2人は役者の身体能力的にも良い相性で、このコンビはなんというかかなり可愛い。

何故かひとりだけロックTシャツをインナーに仕込んだ現代アレンジ衣装だったのも可愛い。

もう可愛いしか言えない。

兄の狂気が印象的な物語ではあるが、思い返すと弟もまた太史慈を通して強かった父の影を追うように強さに惹かれ、強く在ろうとしていたのだと気付くと胸がキュッとなり、より愛おしい。

短剣二刀流使いなのも本当に可愛くて……可愛い…………。

躁と鬱を行ったり来たりしながら幻覚を見る兄と未成年(という概念があるのかはわからないが)でアルコール中毒寸前まで行った弟と見ると、兄弟揃ってメンタルヘルスに問題を抱えすぎており、毒親育ちと戦争はよくないということがよくわかる。

物語が進むにつれ、孫策に対して初めは強い父を追いかけ自身が本来持つ強さを発揮しているように感じていた周瑜もやがてその狂気に気が付く。

ここでも、やはり梅津の演技は素晴らしい。強く厳しかった父への怯えと周瑜への虚勢が入り混じる躁と鬱が入れ替わり立ち替わりに波が満ちては引いていくような表現は本当に見事としか言いようがない。

結末としては、無茶な敵討ちを決行した孫策は死に、周瑜孫策の意志を継いで(いるかのように見せかけて)軍も何もかも孫権に引き継がれ終幕する。

爽やかささえあり、少年漫画の読後感を思わせた。

個人的にはこの結末にこそ企画の意図というか妙があったというか、面白い構成だったなと感じた。

私は結構荒牧慶彦プレイングマネージャー的な立ち位置でプロデューサー業に勤しむのってどうしてなんだろうと思っていたのだが、完全にメタ目線ではあるのだが「こういうことか」と理解出来たような気がしたのだ。

実力のある諸先輩方や仲間たちの力を借りつつ、自分は頭脳として(裏方的に)立ち回り、(今やテニミュだけが登竜門ではないことは理解しているが、それでも出自が特殊な)梅津をW主演として起用しながらもテニミュ3rd出身の廣野へ世代を継承していく。視覚からのメタ的な画が何よりも私を納得させてくれたのだった。

どこまで意図したところかは不明だが、個人的な受け取り方としてこれ以上ない形で受け取れたかなと思う。ノイズといわれればノイズなのかもしれないが。

そしてお待ちかねの第二部。いやあ、楽しかった。

本編にない組み合わせでの対戦の数々。あるはずのない会話。「夢」のような光景。私はこの感覚を知っている。剣劇三國志演技〜孫呉」版 Dream Liveだ。

程普(富田翔)に言ったほうがいいのかもしれない。「眼鏡男子、最高!」と。

やはり一番楽しいのは早乙女友貴VS廣野凌太。良い。笑っちゃってるゆっくんさん。楽しいね。

それから大乱闘スマッシュブラザーズよりよっぽど大乱闘している「擬似ソイヤソイヤ(と私は呼んでいる)」。舞台『刀剣乱舞』のIHIステージアラウンド東京での公演で観た全員出演で回る盆(ステアラでは舞台そのもの)のような演出。

今回舞台監督に元ステージアラウンドスーパーバイザーが入っているからこの演出があったのだろうか。

情報過多で、かつ荒牧梅津が大変そうなのが良かった。下手で余裕そうな廣野玉城が若干サボってるのも含めて。

全然期待してなかったのにこんなに楽しんでしまって申し訳ないくらいに楽しかった。また機会があれば続編も……と思うが、次は早乙女太一くらい引っ張ってこれないと楽しめない気がするので、権力者の方には引き続き権力をたくわえていただきたく。またいつか会いましょう。

 

 

 



 

*1:真偽不明

熱海殺人事件バトルロイヤル50’s ファンレター大公開スペシャル

多和田任益様

熱海殺人事件 バトルロイヤル50’s』の初日が無事に幕を開けましたね。おめでとうございます。

本当であれば毎日劇場にお手紙を預けたい程の熱量が私にもあるのですが、今回は劇場預かりのシステムはないということですので、はてなブログで有料公開してみたいと思います。

万が一にも多和田さんがこれを買って読むことは無いでしょうが、多和田さんから受け取ったものをもって自分なりに真摯に丁寧に「熱海殺人事件」に立ち向かってみたいと思います。

このブログは筆者が自由に編集出来るものとし、今後においては再編集し一部内容が無料で公開される可能性もあります。ご承知おきの上お読みください。

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【Web再録】茶番

こちらの文章は某企画に寄稿したものです。楽しい企画をありがとうございました!

 

なるほど結婚式とは茶番である。

そう得心したのは大学生だった頃に参列した従姉妹の結婚式の最中だった。もう五年ほど前のことで、私は成人式用に買ってもらった立派な搾りの振袖を着付けてもらって参加していた。

茶番などと聞くと捻くれた態度で式に臨んでいたと思われるかもしれないが、そのようなつもりは決してない。とても良い式だったからこそあたたかい気持ちを持って素直に感じたことを表した言葉が冒頭の一言である。

チャペルでの新婦入場に始まり、夫婦となるカップルが神父の前で誓いを立て、皆でぞろぞろと披露宴会場へ移動した後にケーキ入刀をしているのを囃し立ててみたり、新婦が両親への手紙で会場の涙を誘ったり。結婚式というのは結婚式のあるべき姿のままで皆が想像する通り恙無く進行するのが何よりも良しとされている催しであろう。ある程度サプライズの余興などを入れ込む余地はあるかもしれないが、そうは言っても常識的な範疇を超える出来事はそう起こらないし、少なくとも起きることが期待されていることはまず無いだろう。

つまり結婚式とはある意味でのつまらなさこそが肝要なのだ。予定調和の四文字が空間に生温く漂いながらもそこに確かに感じられる安定感・安心感こそが結婚式の真の醍醐味なのであり、新たに夫婦となるふたりの未来に向けられる祝福のひとつの形であるのだ。法的な解釈は一旦脇に置いておくとして、私自身は「結婚」とは共に生活を営んでゆくことだと考えている。結婚を日々の営みだと考えるならば、その序章である結婚式もまた粛々と運営されるべきであろう。

では自分の事はというと、人の結婚式に参加することはやぶさかではないもののつまらない催しをわざわざ企画しようという気にはならないから自分が結婚式を挙げることにはとんと興味がない。

しかし結婚自体に興味が無いわけでもない。他人と生活を運営していくこと自体に興味がないわけではないからだ。人がそれなりに生きていける程度のスペースを残して散らかした部屋でも平気で生活が出来てしまい(弁解するが決して掃除をしていない汚い部屋に住んでいるわけではなく単に片付けが不得手なのである)、洗濯には柔軟剤などは全く使わない「不丁寧」な暮らしをしているし(これも弁解するとゴワゴワのバスタオルじゃないとなんだか拭いた気がしないのだ)、つい最近も一定期間の無職生活を経て再就職した際に国民健康保険から脱退する手続きをしなければならないのを知らずにサラリーマンとして一ヶ月半過ごしてやっとこの事に気付き保険料の二重払いをする羽目になった社会不適合者っぷりである(後々還付されるらしい)から、仮に共に生活を運営していこうという人間がいたとして相手に少しもメリットをもたらせる気がしないことを考えると結婚もやはり難しい気がする。一人暮らしがそれなりに長くなると自分のプライベートな空間に誰かが浸食するというのは現実味がないとも感じることも含め、あまり現実的な話ではない気がしてくる。

基本的には結婚したから結婚式を挙げるわけであるから興味がない上に現実的にも不可能というのが私と結婚式との距離感と言えるだろう。

だが仮にどうしても「理想の結婚式」を考えて欲しいと言われたなら、私は「紀伊國屋ホールで結婚式を挙げたい」と答えるだろう。理由はただひとつ。何を隠そう私はつかこうへいの戯曲『熱海殺人事件』が好きで自他共に認める「熱海のオタク」であるからだ。

 

突然だが、私と『熱海殺人事件』あるいは木村伝兵衛との馴れ初めを書く。

初めて紀伊國屋ホールで『熱海殺人事件』を観たのは、二〇一七年のこと。「喉が強い木村伝兵衛がいる」との評判を聞き、地元・大阪から夜行バスに揺られ紀伊國屋ホールに向かった。

白鳥の湖が爆音で流れるお馴染みの開幕で現場写真を手に板の上に現れた味方良介演じる木村伝兵衛は凄まじいインパクトを私に残した。客席の一番後ろにまで飛んでいく気持ちの良い張りのある声で劇場空間を完璧に支配する男に、私は己の心の弱さを暴かれているようでもあり、守られているようでもある心地になった。被虐趣味めいた欲を満たされると同時に気高い魂に触れたかのような神々しさで総ての雑念が浄化されていくような感覚はこれまで生きてきて体感したことがなく、座席の上で脳が蕩けるような心地よさを味わいながら訳もなく涙を流した。

以降、木村伝兵衛に惚れ込み、紀伊國屋ホールに通い木村伝兵衛の神性を体感する度に「わたしの神様はここにいるんだ」との思いを強くしている。

そして今では木村伝兵衛の妻としての人格を得ている。

と言っても世の中のオタク女性が二次元のキャラクターに恋をしている所謂「夢女」ともまた違ったニュアンスだ。特殊なシチュエーションを好む人や結婚という制度を利用しない/したくない人もいるかもしれないが、一般的に夢女は任意のキャラクターと恋愛関係になり、その結果婚姻関係へと発展する設定を採用することが多いだろう。しかし私は私の「神様」と結婚をしているので、木村伝兵衛との間に恋愛感情があったことはない。

信心深くはない仏教徒の家に生まれて特に宗教性のない中学・高校・大学を卒業したので詳しくはなくインターネットで軽く調べた情報で恐縮だが、キリスト教カトリックの修道女は神に生活の全てを捧げるため「清貧」「従順」「貞潔」三つの誓いを立てるのだという。そしてこのうちの「貞潔」とは結婚せずイエス・キリストに総てを捧げて生きるいうことらしい。結婚することは神以外に隷属することになるため神との契りを破ることになるから結婚しないとのことで、独自の解釈にはなるが「今は仕事が恋人」的なフレーズがあることを考えると誰かと共に生きることは選ばずに一生を神と共に生きるというのはつまり「神と結婚している状態」にあると称しても差し支えないのではないかと個人的には考えている。

私と木村伝兵衛との関係は、そんな関係になんとなく近い感覚がある。

まぁ、自分から縁遠い「結婚」を手に入らないからこそ内心にはある憧れのせいで妙に拗らせて捉えているために木村伝兵衛と「結婚」していると自分自身で理解しているようにしているかもしれないが。

さて、私の歪んだ結婚観はさておき(あくまで己の心象風景について話したつもりだが、ここまで書いてふと宗教的な話が事務所NGだったらどうしようと心配になったので梅津さんに無事に届いた想定でお礼を言っておくこととする。寛大な株式会社bambooさんありがとうございます!)、数少ない友人一同も結婚にはあまり興味がないように見えるし、ただ一人の姉妹である妹は私とは違って社交的で社会性のある人間でありながら結婚式は挙げずに結婚したため、もう今後自分の人生で結婚式という催しに携わることはないかもしれないと思っていた。

 

そんな私に一風変わった結婚式体験をさせてくれたのがSOLO Performance ENGEKI「HAPPY WEDDING」だった。

「ハピ婚」は脚本の構成が特に気に入った作品だった。ひとつ役を演じるごとに少しずつ明るみになる事実には笑ったり驚いたりしながら楽しませてもらったし、梅津瑞樹ただひとりが演じているはずのキャラクターが式が進行していくにつれてそれぞれ人間関係を構築していくのを見ているのは不思議な体験であり、独特の気持ち良さがあった。

 

「実は新婦が不在」の結婚式を題材にしていたのも、その場では演じていないはずのキャラクターが「見える」ほどに上手い梅津さんの芝居とひとり芝居の特性を最大限に活かしたつくりであったし、その巧妙さには思わず唸った。

世間一般的な物事の尺度で見れば亡くなった人との式を挙げるなんていうのはあり得ないことであろうし、「ハピ婚」は身内が亡くなった時でさえ喪に服し祝い事を避ける宗教観を持つ日本人が多く暮らす日本が舞台であるから春彦の挙げた結婚式には不謹慎だとの声が全くなかったわけではないのではないかと想像する。来場者の協力なしには押し進められない行事であったであろうことを考えると春彦と未知の結婚式はまさしく「茶番」と言える式だったのではないだろうか。

春彦が勤めるお好み焼き屋の店長もロバート田中も春彦のバンド仲間も思い返せばどこか様子がおかしくて引っかかるところはあるはずなのに何故か見逃してしまった。梅津瑞樹が披露した含みのある演技は見事だったのに、物語が秘めていた最大であり公然の秘密が明かされた時に素直に驚いてしまった。後から考えてみると、これは私が冒頭に述べたように元々結婚式を茶番として捉えていたからである気がした。

また、客席の雰囲気が相まっていたせいかもしれないとも思う。「ハピ婚」の演者は梅津瑞樹一人であるから客席には梅津さんのファンあるいは少なくとも梅津さんに対して好意的で梅津さんの芝居に興味がある人が座っていたはずだろう。観客の梅津さんへ向ける優しさだとか、この劇場空間を作り上げることに協力したいという強い思いだとか、そういうものを肌で感じたからこそ違和感なく観ていたのかもしれないと考えたのだ。

演劇は役者と観客が共犯関係となり共に作り上げるものだというが、俳優と観客あるいはファンのわれわれはどこまでいっても他人同士であるしファン側の欲が先行してしまうような関係であることも事実だからこそ、ファンから「協力したい、力になりたい」と真に思わせられる俳優は案外少ないように私は思う。しかしそのように思わせることは、作品を劇場空間ごと作っていく特性の強い舞台作品に出演する舞台俳優には絶対的に必要な技量でもあると言えるだろう。

作品を観に来た、役者のファンではない、むしろ役者の存在すら知らなかった人ごと一瞬で夢中にさせるくらいの愛され力と巻き込み力が必要なのが舞台役者という職業なのかもしれない。

「ファンです」言い切れるほどではないにしても少なからず拝見して来た芝居(いくつか拝見しているが紀伊國屋ホールで上演された『キルミーアゲイン'21』も観た)や「ろくにんよれば町内会」やSNSにアップされたエチュードやコントから期待していた通りの、いやそれ以上に梅津さんが様々な役を代わる代わるに演じる様には大いに楽しませてもらい作品に引き込まれた。癖のあるお好み焼き屋の店長や、やたらと横文字を使うコンサル業の男は特にお馴染みの「味」がする芝居で見たかったものが見られたと満足したし、春彦やアキは私にとっては新鮮な気持ちで見た役柄で、梅津さんの役者としての新たな一面を見られたと感じている。未知の同僚による人体切断ショーやバンド仲間による余興は披露している誰もが愛おしくなるキュートさとポップさがあり、大きな笑い声が出ないよう必死で堪えながら観た。

こういった梅津さんの持つ魅力が、客席の多くを占める梅津ファンの「梅津さんの芝居に協力したい」という気持ちを起こさせ「ハピ婚」内の参列者の式を成立させたいとの思いとオーバーラップして私に新鮮な驚きを与えてくれたのではなかろうか。無論、いつしか私もその一人となっていたように思う。

そうだとするならば、梅津さんは単に芝居が上手いだけではなく、舞台役者として重要なスキルを持った役者と言えるであろう。私はそう思う。

私にとっては「ハピ婚」は良い作品を観られた機会であったと同時に、梅津さんの愛される力、ファンと梅津さんとの良い関係を見られたという点でも良い体験でもあった。

「愛され俳優」梅津瑞樹が今後もこのような楽しい催しをしてくれることを期待して、時々気まぐれに穴を覗き込んでみたり、劇場に行ったりしたいなあと考えている。

 

ところでこれも「ハピ婚」を観て持った感想のひとつなのですが。梅津さん、熊田留吉を演ってみる気はありませんか?

記録:2023年5月

テニミュ春の上映祭

@Theater Mixa

0515(泰江髙橋回)

過去のテニミュ映像を観るイベント。ミクサの正しい利用方法と言えよう。

突然相葉裕樹さんに電話を掛け始める奇行が披露された。

劇団朱雀 祭宴

@かめありリリオホール

0520夜(安兵衛駆けつけ 高田馬場の決闘)/0521昼(遠州森の石松 馬鹿は死ななきゃ治らない)/0528(遠州森の石松 馬鹿は死ななきゃ治らない)/0625(配信)

1度は遊びに行こうと決めている劇団朱雀の公演。

いつも大体決まったメンバーで公演を行っている印象なのですが今年はダンサーのPecoが初参加。

舞踊では男性陣と女性陣がパート分けされて別の振りを踊ることも多いのですが、Pecoは女性パートに振り分けられていることも多く、すっっっっごく興奮しまして…………チケットを追加した。

赤ちゃんのような白いちゅるちゅる肌でほわほわした印象なのにすっごくセクシーに舞う姿を見たいので、絶対また劇団朱雀で会いたい。

あとはなんといっても早乙女太一の『くちばしにチェリー』〜『主演の女』。舞台上での早着替えに早乙女友貴に手を添えられながらの花魁道中。大衆演劇を身近に生きてきた人間でありながら外部の商業演劇にも参加してきた人間だからこそ表現出来る斬新な演出と「オタクが見たいもの」をお出しする嗅覚。見事でした。日テレプラスで頻繁に再放送しているようなので一度は観ていただきたい。

Vシネクスト『暴太郎戦隊ドンブラザーズVSゼンカイジャー』舞台挨拶 ゼンカイナイト

@新宿バルト9

0523 1部/2部

当日朝に連絡を入れられた声優陣が送ってくれたメッセージが披露される中、わざわざキャラボイスメッセージを送ってくれていた梶裕貴さんの手厚さに驚いた。自宅で録ったのだろうか。

南座 春の舞台体験ツアー

@南座

0507

こちらの催しは定期的に開催していそうなので気になる方は是非。

ダブル 第二十九幕

野田彩子が漫画を描くのが上手すぎて恐ろしかった